ケモホモ男子寮(公認)に放り込まれた俺の受難な高校生活6

  「――――――それでは、これから面談を始めます。時間は五分から十分を予定しています。よろしくお願いします」

  「…………よ…………よろしくお願いします」

  放課後の西陽が校舎の端にあるこの教室にももれなく差し込んできて、俺の緊張を少しほぐしてくれたような気がした。些細なことだけど、もしそれすらもなかったとしたら、この凍てつくような鷲獣人の視線に耐えられなかったかもしれない。

  ついさっきまで二者面談のことを完全に忘れていて、心の準備ができていなかった俺は、担任に呼び止められるまで上機嫌だった。帰ったら何をしようか、娯楽に思いを馳せていたのに、この強く現実に引き戻された感覚は俺の心を沈ませた。まぁただ息が詰まるというだけで、この担任のことが苦手とか嫌いとかいうわけじゃないんだけど。

  「ではまず、学校生活についてお聞きします。慣れましたか?」

  「っ、……………………は、はい」

  いきなり直球すぎる質問に狼狽えつつも、応答の言葉を捻り出す。

  「………私は授業外のことまでさほど詳しくありませんが…………印象として利根川くんと親しくしている様子ですね?」

  「えぇ…………まぁ、はい…………」

  「学校での人間関係の面で不安や疑問を感じていないのでしたら幸いです。特にこの学園は特殊ですから、転校前の高校と比べ異質な点も多いでしょう」

  それはもちろん嫌というほど感じている。俺の回りにいる雄はみんなホモで、一部は俺にアプローチしてきているんだから。とはいえ、この担任にそんなことを相談するのも憚られた。色恋沙汰には興味なさそうだしな。

  「何か悩み事があり、それを解決するのに私の力が必要なのであれば、いつでも話を聞きます。遠慮はしないでください」

  「……わ、わかりました」

  頼もしいんだかなんなんだかって感じだ。

  すると担任は机の上の書類をペラりと一枚捲った。あまりにも静かだったこの空教室に、小気味良い音が響きわたった。

  「…………次に、渡嘉敷くんの成績に関しての話ですが………………」

  「……………………………………っ」

  きたか。俺は頭のいいタイプじゃないことは分かっているからこそ、成績の話は身構える。特にこの担任はそういうのに厳しそうだ。

  「………………一年の成績から鑑みても、どうやら数学と物理が不得意なようですね。対して国語や英語は平均点以上………他はまぁまぁでしょう。この一年は、数学で赤点を取らないように努力してください。私の担当科目ですので、分からないことがあれば聞きにきていただいて構いません」

  「…………………………はい………………」

  「ですが全体的に当校の学力平均に準じていますので、ひとまず現状維持に努めましょう。それと合わせて、もしレベルの高い大学への進学を希望するのであれば、プラスして励む必要がありますが…………将来についてはどう考えていますか?」

  うんうんと頷きながら聞いていたけれど、そこで一度押し黙ってしまう。面談だし絶対聞かれると思っていたけど、回答を準備しておけばよかったと後悔した。

  俺は元々島にいた頃は、漁師か介護施設の職員にでもなるんだろうと思っていたから、あまり将来については真剣に考えてこなかったし、じぃちゃんとも真面目に話したことはなかった。だからいきなり都会にきて選択肢が大幅に広がりすぎた今、戸惑ってるというのが現状だ。

  ……ほんとはそこら辺をじぃちゃんとしっかり話してから来るべきなんだろうけど、面倒だからと放っておいた結果だ。

  チラリと担任の目を見る。金色の丸く鋭い瞳で見つめ返されたとき、何だかこの人には誤魔化しや嘘も通用しないだろうなと思った。

  「………………今は………………何も考えてないです…………すみません」

  伏し目がちに答えてからまた担任の方を見ると、微動だにしていなかった。

  「了解致しました。では、今年の一年は進路を決定することに費やしてください。そして三学年になった際に迷うことのないように、意思を固めておいてください」

  「…………………………はい」

  この答えも予想されてたのかな、と考えると、少しだけ恥ずかしくなった自分がいた。

  すると、

  「…………実際、2年2組の半数以上はまだ今後の進路が不確定です。だからといって安心してはいけませんが…………そんなに急ぐ必要もないでしょう」

  担任は、いつもと全く同じ声で、全く同じ口調で、全く同じ様相のまま言い放った。ただその言葉からは間違いなく、不安がっている俺を安心させようという明確な意志が受け取れた。少し心強く思ったのと同時に、この人も一応人なんだと再認識する機会になった。

  小さく息を吸って、吐いて。再び担任の方を向いた。

  「進路については、お祖父様ともよく話し合ってください。また今年度から進路指導の授業もありますので、適宜活用してください」

  「………………はい」

  担任は事務的な口調で早口に述べると、チラリと自分の腕時計を見る。恐らくまだ五分も経過してないくらいだろうけど、なるべく時短させたいようだ。

  「……次に、男子寮についての話ですが……」

  ペラペラと淀みなく喋っていた担任はそこで一度呼吸を置いてから、机の上に手を組んだ。羽毛に包まれた指にガッチリと力が入っているのが見てとれる。

  「…………寮生活において、何か困ったことはありますか?」

  「………………えっ…………と………………」

  質問は漠然としていたけれど、俺からしてみればはいと何度でも頷きたいところだった。ただそもそも間違って転校してきてしまったのは俺の方だし、この先生に色恋沙汰の相談をするのもどうかと思う。雄に言い寄られて困ってます…………なんて、担任の質問の意図にはそぐわないだろう。

  「じぃちゃんと離れて暮らすのは初めてなんで………でもルームメートもいますし何とか…………」

  「人間関係についてはどうですか?」

  俺がお茶を濁そうとしていたところを思い切りつつかれて、ピクリと体が反応してしまった。

  …………つい先日、久郷田先輩とのデートで一悶着あったばかりだ。

  「………………問題ないです。寮の先輩たちもいい人ばかりですし………」

  こんなに器用に嘘がつけるようになったのは、恐らく都会に来てからのような気がする。

  担任は首をほんの少しだけ傾けながら、俺の目をじっと見ている。刺すような視線に気まずくなって、また俺はそっと目を逸らした。

  「…………これはあまり広めたくない話ではありますが、昨年度………男子寮生の一人が他の寮生たちに性的被害を受けるという事件が起きました。それにより我々教師もこれまで以上に寮生を厳しく監督するようにしています」

  「………………………………………………」

  「二度とそういった事件が起きないようにするには、寮生の協力も必要不可欠です。何か困ったことや、相談したいことがあれば私か寮監に連絡してください」

  昨年度の事件…………って恐らくこーすけのことだろう。少し前に、こーすけが他の二年生と仲が悪い理由を聞いてみたことがある。実際その事件が本当だったのかは半信半疑…………というより俺が信じたくなかったのが本心なんだけど、今担任の話を聞いて事実だったのかと再認識した。

  …………ていうか、あんまりそういう話は広めない方がいいんじゃないだろうか。学園の生徒なら知り得る話ではあるけど、マイナスイメージに他ならないし。

  でもそれを俺個人にわざわざ話すってことは………よほど警戒してるってことなんだろうか。確かにこの学校の方針に否定派のクレーマーからしてみれば、ちょうどいい火種になる。

  担任は小さくカチカチと嘴を鳴らしてから、手元の資料に目を落とした。

  「渡嘉敷くん自身が被害に遭わないためにも、注意を払って生活してください。加害者はまだ学校に在籍していますから」

  「………………………………はい」

  一応………心配はしてくれているようだ。けどまぁ俺自身は大丈夫な気がなんとなくしていた。こんなこと言うのは嫌だけど、俺に何かあれば篠崎とこーすけと久郷田先輩が黙ってないだろうから。アイツらにも狙われていることを加味しても、ちゃんと抵抗できると思う。

  「それと、寮則や校則は厳守するようお願いします。渡嘉敷くんではないと思いますが、昨日稲光の生徒が深夜徘徊をしていたと近隣の住民の方から連絡がありましたので。最悪の場合退寮措置になります」

  「……ぇ……寮生なんですか?」

  「男子寮のすぐそばだったとのことですから、恐らく寮生でしょう。学校側でも調査をしていますので、気をつけるように」

  それは確かに寮生が疑われてもおかしくはないけど、夜九時以降は外出禁止で玄関にも鍵がかかっているはずだ。寮監がたまたまかけ忘れたとかじゃない限りは、深夜徘徊なんてできるわけないんだけど。秘密の出入口でもあるのか、あとでこーすけに聞いてみようか。

  担任は左腕にした腕時計をチラリと見て、再び俺の方を向いた。

  「時間が余りましたが、何か質問や相談はありますか?」

  「…………えっと……………この学校って先生もみんな……LBGTなんですか?」

  俺が少し気になっていたのは、この状況を相談できる異性愛者が近くにいるのか、ということだ。寮の先輩たちはみんな同性愛者だし、同情してくれる人はいても共感できる人はいない。価値観の違う大勢の人達に囲まれてる今の状況で、同じ境遇の人がいるとだいぶ心の支えになるんだけど。

  「いえ、全員ではありません。学園の方針で、教師の男女比やLGBTの数はおおよそ半数になるように調整されています。なるべく多種多様な価値観の教員を配置する為です」

  「……じゃあ、異性愛者の先生もけっこういるんですね」

  「えぇ。私も全員把握しているわけではありませんが」

  それは朗報だ。今抱えている問題を解決する手助けをしてくれる大人がいるかもしれない。

  「…………ちなみに先生は……?」

  「私は無性愛者です。なので恋愛相談等は力になれないでしょう」

  無性愛者?初めて聞く単語だ。でも何となくどういうことなのかは想像がついたし、この人はそうだろうなと思った。

  「……もし、異性愛者の教員を探しているのであれば、化学の西村先生を紹介しますよ。基本的には本棟の理科準備室にいるので、興味があれば訪ねてみてください」

  「分かりました…………ありがとうございます」

  「他に聞きたいことはありますか?今日じゃなくとも、事前に連絡していただければ個別に時間を取ることもできます」

  「あっいや、大丈夫です…………」

  担任はまたチラリと腕時計を見てから、手元のファイルをパタンと閉じた。最初から最後まで機械のように一本調子で、初めは緊張したけど次第に慣れてきた。

  「では、以上で面談を終了します。私はこれで」

  スッと立ち上がって手早く資料を手に取ると、早歩きで教室から出ていった。きっとこの後も違う生徒の面談があるんだろう。将来どうなりたいとかは今のところないけど、教師はあまりにも忙しそうで目指したいとは思わなかった。

  ふと窓に目を向けると、夕陽は雲に隠れて見えなくなってしまっていた。

  点呼も終わって大体10時過ぎ。俺は夕食後に宿題を終わらせてしまうから特にやることもなく、用事がなければ部屋でゴロゴロしている。大体いつもこーすけと喋っているか、篠崎をあしらってるかだけど。

  今日は篠崎が来なかったのでこーすけと雑談をしていた。

  こーすけとは色んな話をする。俺はテレビくらいしか見ないから、世間で起きていることについては圧倒的に情弱だ。携帯やらパソコンやらを持ってるこーすけはネットニュースとかを見て、興味深いニュースがあれば教えてくれたりする。まぁほとんどゴシップとかエンタメばっかりで、難しい政治の話はしたことないんだけど。

  他にも学園内のニュースとか、こーすけはめざとく色んな情報を持っていて、驚かされることがある。あんまり友達が多いイメージは無いんだけど、俺の知らないことをたくさん知っていた。

  「また不倫だってさ。最近多いよねほんと」

  「…………一昨日も言ってなかったか?」

  「いやまた別の人。同じ人を長期間愛するのってそんなに難しいことなのかねぇ」

  変におばさんみたいな口調になったこーすけは置いといて、確かに不倫だの浮気だのってニュースは頻繁に耳にするような気がする。別に好きな芸能人がいるわけでもないからどうでもいいんだけど。

  ただ異性愛にしろ同性愛にしろ、共通して不倫は問題視される。誰だって好きな人に不倫されたら嫌だろう。そんなことするなら結婚しなきゃいいのに、って思うけど、きっとそんな簡単な話でもないんだろうな。

  「哲也の初恋の相手は?」

  「…………………なんでいきなりその話になんだよ」

  「いや普通に気になるじゃん。小学校とか?」

  「…………………………………………………………………………」

  正直なところ話したくなかった。何となく馬鹿にされそうな気がしたし、話したところで恥ずかしいだけだ。

  こーすけは椅子から身を乗り出して俺をじっと見つめている。俺は目を逸らして尻尾をいじる。

  「…………そういえば哲也の好きな女の子のタイプ聞いたことなかったね。教えて?」

  「……………………………………いやだ」

  「えーーなんで?いいじゃんそれくらい」

  「言ったら絶対茶化してくるだろお前………」

  「茶化さないよーちょっと意識するけど」

  「それが嫌なんだよ………」

  例えば眼鏡が好きだなんて言ってみろ。明日からかけ出すようなことをしてくるのがこーすけだ。リアクションに困るし鬱陶しい。

  するとその時、部屋の扉がコンコンとノックされた。こーすけから追求される前に誰か来てくれて助かった。

  「どうぞーー」

  こーすけの欠伸混じりの声と共にゆっくりと扉が開いて、黄金色のマズルがひょっこりと覗き込んだ。恐る恐る入ってきたのは上柴だった。

  「夜分失礼します……お疲れ様です」

  「あれ?上柴くんどうしたの?」

  俺が上柴の部屋に行ったことはあるけど、上柴が部屋に来たのは初めてだ。前に遠慮するから先輩たちの部屋は訪ねづらいって言っていた。

  上柴は中に入って扉を閉めると、申し訳なさそうに尻尾を足の間に挟み込んだ。

  「あ、あの…………先輩方に相談がありまして………」

  「相談?とりあえず座りなー」

  こーすけが俺の椅子に座るよう促すと、軽く会釈してからちょこんと座った。何だか萎縮してるような印象を受けるし、結構深刻な用事だろうか。

  「どうしたのいきなり……相談って?」

  「実はあの……………………………」

  ここで少し上柴は口ごもった。こーすけが、ん?と聞き促すと、意を決したように顔を上げた。

  「ストーカー被害!?」

  「………………はい。一週間くらい前からなんですけど…………」

  上柴の話を要約すると、少し前から登下校や外出した際に、誰かに後をつけられている気がしているらしい。さすがに寮や学校の中までは着いてこないらしいけど、誰なのか確かめてはいないそうだ。

  「ずっと同じ足音がしてるので…………絶対気のせいじゃないです。三十メートルくらい遠くから、ずっと着いてきてて…………」

  「校外の人かな……知り合いに心当たりはないの?」

  「………………思い当たらないです」

  上柴は耳を垂れさせながら、小さくため息をついた。俺はそんな経験したことないけど、本人にとって相当なストレスだろう。解決してやりたいのは山々なんだけど。

  「…………でもそれって俺らなんかに相談するより警察に言った方がいいんじゃねぇか?」

  そもそも犯罪の捜査なんか普通の高校生にできることじゃない。ちゃんと警察に被害届出して、逮捕してもらった方がいい気がする。

  しかし上柴は首を横に振った。

  「うちの親、めちゃくちゃ過保護なんです。もしストーカーのことを知られたら、心配して退寮させられちゃうかもしれません……」

  「…………まぁさすがに知られずに解決するのは無理だろうね。警察の路線は無しで行こう」

  顎に手を添えながら、こーすけが言う。尻尾をゆらゆら揺らして、なんだか楽しそうだ。

  「一番つけられてることが多いのはいつ?」

  「…………多分下校のときだと思います。部活がある時もない時も、待ち伏せされてるみたいで……」

  「じゃあ調査のタイミングは明日の放課後だね。部活は?」

  「明日は無いです………ので、ホームルーム終わったら先輩方のところに行きますね」

  「いや、上柴くんは普通に帰ってくれていいよ。ストーカーに警戒されたらマズイから。俺らはストーカーをストーカーしとく」

  「なるほど……じゃあ帰るタイミングでLINE送りますね」

  二人ともどんどん話を進めていって、ストーカーを捕まえようとしているようだけど、危険な変質者だったらどうするつもりなんだろうか。あまり目は離さない方がいいかもしれない。

  俺が上柴のことをじっと見ていると、視線に気づいた上柴が見つめ返してきた。そしてすぐ俯く。

  「……すみません、変なことに巻き込んでしまって…………僕の我が儘のせいで…………」

  「全然いいよ。上柴くんの安全が最優先だし。ね?哲也」

  それには完全に賛成だ。困っている後輩を助けるのは当然だし、俺にできることなら協力してやりたいが。

  「………………おいこーすけ。お前なんか楽しんでるだろ」

  「…………え?うんまぁ。だって犯人捜しとか楽しそうじゃん」

  「上柴が可哀想だろ。本気で困ってんだぞ……」

  俺の言葉にこーすけは肩をすくめる。……いや、こーすけに思いやりとか優しさとかを求めた俺がバカだったかもしれない。猫の皮を被った悪魔みたいなやつだからな。

  「まぁまぁ、どっちみちストーカーを捕まえれば上柴くんも助かるわけだし。適当に楽しみながらやればいいじゃん」

  くわぁと欠伸をするこーすけに呆れていると、それに苦笑いしていた上柴が口を開く。

  「ぁ………それと、さっき食堂で久郷田先輩に伝言を頼まれてて………渡嘉敷先輩に部屋に来るように、って」

  「…………あぁ、わかった」

  …………そういえば今日からだったな。上柴のこともあるし、今週はなかなか忙しくなりそうだ。

  こーすけの耳がピクピクと動いた。

  コンコン、と今度は俺がノックする番で、中からはーいと声が聞こえて部屋に入った。

  四階の奥部屋である久郷田先輩とあやめ先輩の相部屋は、寮にある部屋の中でもかなり特徴的だった。二人の趣味が対極すぎるせいで、壁紙やらベッドがひどく落ち着きの悪い空間にしているのだ。

  あやめ先輩は勉強机の椅子に座って携帯をいじっていた。ピシャッと組んだ足に相変わらず艶やかな毛。雌っぽくなることに余念がない。

  久郷田先輩の方は布団に寝転がってマンガを読んでいた。いつも通りのタンクトップに短パンで、なんだか安心した。

  「…………ぁ?やっと来たか」

  「あらトーカちゃんじゃない!なんか用事?」

  入るやいなや二人の声が被って、なんだかごちゃごちゃっとなったけど。扉を閉めてあやめ先輩に軽く会釈する。

  「久郷田先輩に呼ばれたんで……」

  「久郷田が?珍しいわね」

  二人して久郷田先輩の方に目を向ければ、本人はニヤニヤと笑っていた。

  …………若干抵抗はあるけど、ここまで来た以上帰るわけにもいかない。約束は約束だ…………嫌だけど。

  そっとあやめ先輩の横を通り過ぎて、寝ている久郷田先輩の側まで近づく。先輩は包帯が巻かれていない方の腕を伸ばして、そのまま俺を引っ張ると、自分の横に寝転がせて抱き締めてきた。俺はちょうど壁と久郷田先輩の間に寝ることになって、逃げられなくなった。

  「オメェも律儀だな、テツ」

  「…………ちゃんと約束は守ってくださいね」

  当然その光景を見たあやめ先輩は驚いているだろう。はっきりと息を呑む音が聞こえてきた。

  「え!?ぇ…………これ…………私邪魔?出ていった方がいいの?」

  「いや、逆に出ていかないでください…………それで、追及もしないでください…………」

  そりゃこの状況を見たら色々と混乱するのも当然だし、変に誤解するのも当然だけど。あやめ先輩さえ黙っていてくれたら面倒なことにならなくて済む。もう受け入れてくれるのを願うばかりだ。

  久郷田先輩がフン、と鼻を鳴らすのが聞こえた。

  「ぇ…………二人ってそういう関係になったの?」

  「違います!!間違ってもそうじゃないです……」

  、

  「あやめもう電気消せ。あれだよ、添い寝フレンドってやつだ。誰にも言うんじゃねぇぞ」

  ここからじゃ見えないけど、あやめ先輩がキョトンとした顔をしているのは容易に想像がついた。

  もちろんだけど俺と久郷田先輩は添い寝フレンドなんかじゃない。

  つい昨日、久郷田先輩に襲われかけた俺は抵抗のために先輩の腕を噛んだけど、思いの外重傷を与えてしまったのだ。その後病院に行ったところ、全治二週間だったらしい。

  元々悪いのは久郷田先輩で、俺は正当防衛をしたに過ぎない。俺が負い目を感じる必要はないんだけど、怪我をさせた罪悪感から医療費を出すと提案した。しかし久郷田先輩は俺の金銭面が厳しいことを知って、断固として受け取らず、代わりに違う提案をしてきた。

  それが、先輩の怪我が治るまで毎日一緒に寝ること、だった。

  襲われかけた相手と再び寝るなんてバカげているのはわかってる。でも部屋にはあやめ先輩もいるし、絶対手を出してこないことを条件に了承してしまったのだ。

  学校にも寮生にも、怪我の原因について本当のことを言ってはならない。特に未成年なのにホテルに入ったことがバレたら、退学にもなりかねない。久郷田先輩のことだし色々と変な噂がたつだろうけど、俺としてはとりあえず黙っといて追及されたら久郷田先輩のせいにすることにした。

  「…………なんか意外だわ。トーカちゃん、久郷田は見た目はいいけど中身はクズだから気をつけるのよ」

  「えぇまあ…………知ってます」

  「あぁ?はっ倒すぞ」

  そう言いながら久郷田先輩は強めにぎゅっと抱き締めてきた。ハスキーの毛深い剛毛のせいであったかい。

  あやめ先輩が電気を消すよりも早く、俺の視界は真っ暗になった。

  [newpage]

  次の日。

  朝の点呼が終わった後、大半の人が二度寝しに部屋へ戻るなか、朝御飯を食べる俺の隣でこーすけは大あくびをしていた。

  「ねぇ昨日どこで寝たの?」

  眠そうな声で目を擦りながら、欠伸を何回も繰り返す。猫獣人は睡魔に弱く、眠気に正直な種族だ。我慢してないで寝てればいいのに、と色んな感情の許に思った。

  「………………お前が寝た後帰ってきた」

  「嘘。だって俺朝五時まで起きてたもん。別に言いたくないならいいけどさ」

  「…………………………………………………………」

  こーすけがそんなに夜更かししていたなんて珍しい。普段は12時頃になると糸が切れたようにベッドに倒れ込んでいるのに。もし俺が帰ってくるのを待ってたんだったら、少し悪いことをしたような気になる。

  「ふわぁぁぁ……………眠すぎ。今日は一日寝よ…………」

  「……いや学校だろ」

  「学校で寝んの………先生にバレないようにちゃんとカバーしてね」

  欠伸混じりにも、悪戯っぽく笑うこーすけに呆れ返る。まぁどうせすぐバレるだろうけど。一時間目は厳しい数学だし。

  するとその時、

  「よーお前ら相変わらずカップルみたいな会話してんな」

  「あ、さんし…………三下先輩」

  「テメェ今さんしたって言おうとしたならぶっ殺すぞ」

  「さんしじゅうに、って言おうとしました。かけ算覚えたくて」

  「ケッ、なめやがって」

  三下先輩が俺たちのテーブルにやってきて、俺の真正面にどかりと座った。普段あまり喋らない先輩だから、こうやって向こうから来るのも珍しい。

  胸に大漁と書かれたTシャツを着ていた。

  「どうしたんですか?」

  「いや誰も朝飯食わねぇからよ。もうお前らしか喋る相手いなくてな」

  「あの角に一年の子いるじゃないですか…………名前わかんないけど」

  こーすけが視線を向けた先には、体を丸めて朝御飯を食べる牛獣人の一年生がいた。決して存在感が薄いわけじゃないんだけど、静かすぎて忘れていた。

  …………そして俺も名前は分からない。

  「俺がそーいうタイプじゃねぇの知ってんだろ」

  「意外と人見知りですもんへぇ…………」

  「人見知りじゃねぇよ、あくびしながら言うな!」

  三下先輩がこーすけの耳をひっぱたいた。ただ二人とも体が小さいから、ただのじゃれあいにしか見えない。

  そういえばこーすけと三下先輩が喋ってるのは初めて見たけど、思いの外距離が近くて驚いた。三下先輩はもう少し気難しいイメージがあったから、こーすけの飄々とした馬鹿にした感じのノリは苦手だと思ってたんだけど。

  …………慣れるとそんなに怖くもないのかもな。

  三下先輩は持ってきたご飯茶碗と、おもむろに瓶を取り出した。

  「………………?なんですかそれ」

  「あ?なめたけ」

  三下先輩は瓶の中からドロッとした茶色いものを、白ごはんの上にかけ出した。

  「…………………………なんですかそれ」

  「汚いもの見る目すんな。お前なめたけ知らねぇの?」

  「哲也は九州のど田舎出身なんですよ」

  「九州にもなめたけくらいあるだろ。食ったことねぇの?」

  「…………………………………………はい」

  九州、と一くくりにしてもめちゃくちゃ広いし、俺が住んでいたのは端の端だ。少なくともじぃちゃんは買ってきたことはなかったし、カイの家でも食べたことはない。

  三下先輩は驚いたような顔でへぇーと言うと、箸を瓶の中に突き立てて、なめたけを少し取り出した。そのまま俺の方にぶっきらぼうに差し出す。

  「食え。何事も経験だろ」

  「ぁ…………はい、いただきます……」

  親切なんだか不親切なんだか、とりあえず差し出された少量のなめたけを、口の中に含んでみる。

  少し咀嚼してから、独特の酸味と香りが口内に広がって、ツルリと喉の奥を通り抜けていく。なるほど、単体ではちょっと酸っぱいくらいだけど、ご飯のお供にしてはなかなかの相性だろう。

  「……………………うまい、です。米欲しくなりますね」

  「だろ?俺はごはんのお供なら一番好きだわ」

  「えー明太子が一番美味しくないですか?」

  「わかってねぇな、この味でこの値段なのがいいんだろ?」

  三下先輩はそう言いながらも、美味しそうにパクパク白飯をかきこんでいる。

  そういえば都会のスーパーは大きいから、ご飯のお供もたくさん種類が売ってるだろう。色々買いに行って食べ比べしてみようかな。

  俺が考え込んでいると、三下先輩は不意に食べる手を止めた。

  「……そういやお前ら、今年修学旅行だよな?」

  「そうですけど、いきなりどうしたんですか?」

  三下先輩の目の奥が光っている。

  「行くとこ投票できるだろ?長野県にしろ」

  「長野??なんでですか?」

  こーすけが聞いた時点で俺はなんとなく予想はついていたけど。

  「なめたけの名産地だからな。国内のなめたけはほとんど長野県産だ」

  「いやいいですなめたけ好きじゃないし」

  「あぁ?テメェぶん殴るぞ!?」

  こーすけと三下先輩のじゃれあいに発展しそうなところで、俺も二人に質問する。

  「投票?ってどういうことですか?」

  修学旅行があるのは知ってたけど、投票の話は初耳だった。

  こーすけの胸ぐらを掴んだままの三下先輩が答える。

  「修学旅行の行き先を投票で決めんだよ。クラスごとに提案して、学年投票する」

  「去年はどこ行ったんですか?」

  「俺らは沖縄だな。秋頃だから暑いとこ行くとちょうどいいんだよ」

  修学旅行に沖縄か。東京に住んでる人たちからすれば、見慣れない海や山、南国の気温も珍しいんだろうけど、船で数時間の距離に住んでた俺としては、せっかくの旅行なら真逆のところに行ってみたい気はある。

  「哲也はどこ行きたい?」

  「マイナーなところは票入んねぇぞ」

  二人に聞かれて、少し考え込んでみる。南国と真逆のところといったら…………北海道か?日本海側なら雪も降るだろうし、そんなに北に行かなくてもいいかもしれないけど。

  「…………北海道とか?」

  「あーーいいじゃん北海道。蟹食べたいなぁ」

  「時期的に雪って降んのか?俺らのときはそれが分かんなくて沖縄になったんだよ」

  「その年の寒波によるんじゃないですか?」

  「ラーメン食べたいねぇ」

  …………それからは、修学旅行の行き先について三人でずっと話していた。三下先輩とこんなに話したのは初めてだったし、ぶっきらぼうだけど普通に優しい先輩だと再認識した。そして何より普通の先輩後輩らしい会話ができたことが嬉しかった。

  ちょっと盛り上がりすぎて、遅刻しかけたのは良くなかったけど。

  時刻は飛んで、その日の昼休み。

  四限目の授業が終わった途端に、教室の扉へダッシュする人、友達と喋り出す人、引き出しから弁当を取り出す人、色んな人がいる。

  こーすけは大体ぐでっと机の上に顎を乗せて、欠伸をしたり欠伸をしたり、欠伸をしたりしている。

  俺が立ち上がろうとすると、腕をぎゅっと捕まれる。

  「どこ行くの?」

  「どこって寮だろ。昼飯食いたいし」

  「えぇーーもうちょっとゆっくりしてこうよ」

  「んだよそれ………」

  そのまま無視して行こうかと思ったけど、こーすけは裾を掴んだまま離す様子がなく、ため息をついてから俺は再び席についた。

  今日の授業は座学ばっかりで、退屈だったといえば退屈だった。強いていうなら三限目の保健は楽しかったけど。俺より体が小さいのをいいことに、こーすけはずっと居眠りしていたらしい。

  周りからだんだんと食べ物の匂いが漂い始める。空いた腹が少し鳴って、何か食わせろと文句を言っている。文句なら後ろのやつに言ってくれ。

  すると、こーすけに肩を叩かれる。

  「ねぇあの二人相当距離縮まったよね」

  「………………そうだな」

  こーすけが誰のことを話しているのか聞かずとも分かる。目の前の獅子獣人に肩を組んでいる虎獣人、秋沢と高田だ。

  元々二人はほとんど接点が無かったけど、俺が高田を擦り付ける形で仲良くなった経緯がある。俺から見てもちぐはぐな性格をしてると思うけど、案外そういうコンビの方がいい友達になるのかもしれない。

  高田は秋沢と肩を組んだまま、身を寄せ合うようにぴったりとくっついていた…………あまり友達の距離には見えないな。

  ゆらゆら揺れている高田の上機嫌そうな尻尾を目で追っていると、さりげなく秋沢の尻尾に絡んでいくのが目に入る。

  「あっ………………やっぱりくっついたんだ」

  「……………………………………………………………………」

  こーすけの呟きは無視して、そっと二人から視線を逸らす。俺は結局二人の仲人みたいなことをしてしまったようだけど、意図してしたわけじゃない。たまたま秋沢に白羽の矢を立てただけで、まさかこーすけの言うとおり恋仲になるとは思わなかった。

  …………気持ち悪い、なんて本人に言えるわけがない。言う必要もない。ただ俺は、目を逸らせばいいだけだ。

  その様子を見たのか、こーすけに肩をつつかれる。

  「あぁいうの見るのはやっぱり嫌?」

  

  「……………………別に嫌ってほどでもねぇけど」

  「でも直視はしたくないんでしょ?」

  「……………………………………まぁな」

  当たり前だ。わざわざ雄同士の恋愛模様を見たいわけがない。俺は至って普通の………………

  「………意外と慣れって大事だよ。変に意識するよりさ、精神的に楽になるっていうか」

  「…………………………………………………………………………」

  「だってこれから嫌ってほど見ることになるんだし……………わかる?俺の言いたいこと」

  「…………………………………………うるせぇよ」

  「別に哲也の価値観を否定したいわけじゃないんだけどさ、なんていうか………仕方ないことだし慣れるしかないっていうか――――――」

  「っ………………、うるせぇよッ!」

  ペラペラと喋るこーすけの方を振り向いて、キツく睨み付ける。それに怯んだこーすけは耳を寝かせてピクリと体を硬直させた。

  …………なにしてんだ俺。急に怒鳴ったりして。

  「……………………………………いや……………………悪い」

  「…………………………………………………………………………」

  俺は立ち上がって、俯きながら教室を出ていく。少し周りからの視線を感じたけど、今はそれどころじゃなかった。

  歩きながら、考える。今俺は何にイライラしたのか。

  雄同士で、恋愛をするなんて気持ち悪い。ベタベタくっついて、尻尾を絡めあって。俺は間違っていないはず、おかしいのはこの学園の生徒の方だ。

  勝手にしたらいいんだ、そんなこと。俺がわざわざ考えるまでもなく、そういう奴らは放っといて過ごせばいい。これまでも、ちゃんと目を背けてきたじゃないか。これからも、そうやって過ごせばいい。

  そうして俺はきっと慣れていく。そのうち目にも入らなくなるはずだ。そう思っていた、これまでは。

  あの時、秋沢と高田が尻尾を絡めたとき、昨晩のことを思い出した。

  久郷田先輩の布団の上で、先輩に抱き締められながら、うとうとしていて、それで。

  先輩の尻尾が、俺の尻尾の近くにあって、で、俺は、

  …………自分から尻尾を絡めた。

  なんでそうしたのかは分からない。そのときたまたまそうしたかったから。篠崎のときもそうだ。俺は自分から抱きついたり、キスをされたり。

  ………………気持ち悪いのは俺の方じゃないか。

  雄同士でベタベタするのが気持ち悪い?俺は毎日篠崎に抱き着かれてる。久郷田先輩と添い寝して、キスだってした。しかも自分からねだって。

  バカみたいだ、自分が。俺はこの学校にどんどん慣れていってる。そしてどんどん馴染んでいっている。

  それが、嫌だ。

  長年培ってきた価値観が覆されるような、壊されていくような感じがする。雄同士なんてあり得ない、入ったばかりの頃はそう思ってたはずだろ?

  それが、悪くないなんて思い始めてる自分に、とてつもない嫌悪感を覚えた。

  違う、違う違う。俺はホモなんかじゃない。

  きっと女子とコミュニケーションを取らなさすぎて、おかしくなってるだけだ。俺は都会が怖くて、無理やり馴染もうとしてきた。これはその弊害だ、元々女の子が好きなノンケの趣味が、変わるわけがない。

  ……それでもほんとは分かっている。何かが変わっていくのは感じてる。そりゃ獣人誰だって環境が変われば性格も変わるはずだ。おかしいことじゃない。

  どっちだ。変わりたくないのか、変わってもいいのか。

  気づけば、いつもの中庭のベンチに座っていた。今日は晴れ、中庭には暖かい光が差し込んでいるが、俺の座っている端のベンチまでは届かない。日当たりが悪いところなんて誰も座らない。考え事をするには好都合だ。

  周りを見れば、同性同士のカップルでいちゃついてる連中がちらほら視界に映る。雄も雌も、幸せそうな顔で、恋愛を楽しんでいる。

  俺は恋愛をしたことがない。誰かを好きになったり、愛したこともない。昨日こーすけに初恋の人を聞かれたけど、答えられなかったのは一人もいなかったから。好きなタイプ?分かるわけないだろ、一人もいたことないんだから。

  そもそもテレビくらいしかろくに見たことなくて、周りに同年代の女の子もいなくて、年寄りばっかの相手してきて。恋だなんだって、できるわけない。そういう環境にいなかったんだからしょうがない。

  ただなんとなく、俺は雌が好きだって、いつからか自覚してた。価値観ってそういうものだと思ってた。

  でも今、選択肢を与えられた今。価値観が変わりかけている。それを嫌に思ってる自分もいて、受け入れようとしてる自分もいて。どうするのが正解なんだろうか。

  「………………あれ?渡嘉敷なにしてんだー?」

  間延びした低い声で名前を呼ばれて振り返ると、日向の方から相田先輩がゆっくりと歩いてきた。もう昼飯を食べてきたんだろう、上機嫌そうに尻尾を振っていた。

  「…………お疲れ様です。休憩してました」

  「めちゃくちゃ悩み事があります、って顔してるなーーお前。分かりやすいぞーー」

  にっこりと強面で笑いながら、俺の隣に腰かけた。何気に一対一で話すのは初めてかもしれない。

  相田先輩には雌の彼女がいて、この学園では珍しいタイプだ。俺の悩みとは対極にいる、少し羨ましい存在。

  「で?何の悩みだ?恋愛かーー?」

  「まぁ………………はい、そんなところです」

  不意に大きな手が俺の頭を包み込んだ。大きさとは裏腹に、撫でる手は優しいものだ。久郷田先輩もよく撫でてくるけど、感触は全然違う。

  チラリと横を見ると相田先輩は相変わらず微笑んでいた。

  「お節介で悪いけどなーー俺に話して楽になるんだったら話聞くぞーー」

  「…………ありがとうございます…………ぇっと………」

  悩みを聞いてくれるのはありがたい。一人で考え込んでも何も解決しないことは分かっていた。でも全部一から説明していたら昼休みが終わってしまうし、知られたくないこともある。言葉選びも慎重にしないといけない。

  俯いてから、相田先輩の真っ黒な目をチラリと見る。感情は読めないが、穏やかなのは確かだ。

  「………………先輩は………………価値観が変わったことってありますか?」

  「ん?なんだそりゃ。あるに決まってるだろーー」

  「じゃあ…………その、価値観が変わるのが嫌だ……って思ったとき………………どうしますか?」

  自分で発言してても思う。随分とアバウトな質問だ。先輩もきっと答えには困るだろう。

  相田先輩は少し黙り込んで考えたあと、口角を上げて俺をじっと見つめた。

  「…………なんとなく分かったぞーーお前の悩み。意外と物事を深く考え込むタイプなんだな」

  「そう…………なんですかね。自分じゃよく分からないんですけど」

  実際都会に来るまでは、悩み事にこんなに頭を使うなんてほとんどしなかった。そもそも悩み事といっても、宿題めんどくさいな、とかその程度で。

  自分の価値観について掘り下げることすら、つい最近し始めたんだ。これが思春期ってやつなんだろうか。

  相田先輩が目を逸らしたので、俺もつられて遠くを見る。中庭は雲がかかって薄暗くなっている。

  「まぁあくまで俺の場合だけどなーー、考えて嫌なことは考えないようにする、ってのも大事だぞ?」

  「………………逃げる、ってことですか?」

  「そうだなーーでも、必ずしも逃げる=悪いこと、ってわけでもないんだよ」

  「……………………………………………………………………」

  嫌なことから目を背ける。誰しもがしてしまうことであり、誰しもがいけないことと思いがちなものでもある。実際片付けなきゃいけない問題から逃げるのは、現実逃避に他ならない。

  相田先輩の手が再び俺の頭を優しく撫でた。

  「そりゃ逃げてばっかりもどうかと思うけどな?価値観の変化なんて時間が経てば変わったことにすら気づかなくなるもんだろ?時が解決してくれそうなときは、あえて放っぽり出すのも手じゃないかーー?」

  「………………………………………………………………」

  「逃げる、のも向き合う、のもあくまで手段の一つだよ。それに良いも悪いもないと思うけどなーー」

  「……………そう…………ですね、その通りだと思います」

  「でもまぁ、目を背けようとしても結局意識しちゃうのが獣人だ。そうやって時間が経つにつれ、気づいたら忘れてるもんだよ」

  頭を大きな掌が、ボンッボンッと強めに叩いてきた。先輩は撫でたつもりなんだろうけど、少し脳がグラついた気がした。

  今の悩みから目を背けて、時間が経つのを待つ。そうすればそのうち価値観が変わって、嫌だと思っている今の感情すら無くなるんだろう。それは…………どうなんだろう。俺はどうあるべきなんだ?

  「……………………あの、俺………………雌が好きなのか雄が好きなのか、よく分かんなくなっちゃって…………それで………………悩んでました」

  結局のところ、俺の問題はこれに尽きるだろう。女の子が好きだと思っていた俺が、男とも尻尾を絡ませ合おうとしてる。この矛盾が、悩みの根幹だろう。

  それをそのままストレートに、相田先輩に伝えてみる。

  顔色を伺ってみると相田先輩は変わらず微笑んでいて、どこか安心する自分がいた。

  「別にどっちが好きって決めなくてもいいんじゃないかーー?それとも決めなきゃならない理由でもあるのか?」

  「……………………えっと、それが…………今までの価値観です。決めなきゃいけないんだろうって……思ってました」

  すると相田先輩はとても低い笑い声をあげた。いつものんびりしている先輩の笑うところは、初めて見たかもしれない。

  「またこれは俺の価値観だけどなーー。雄はこうしなきゃならない、雌はこうしなきゃならない、ってのに抗ってるのがLGBTの存在だろ?なのにゲイだから雄を愛さなきゃならない、って自分で縛ってるような気がするんだよなーー」

  「…………………………………………………………………………」

  「基本的にはゲイだけど、例外的に女性を好きになることもある。そんなのもいいんじゃないかって思うんだよ。だから俺は一応バイって言葉を使うけど、あんまり好きじゃない。好きになった人がたまたま雄だったり雌だったりしただけで、雄だからとか雌だからとかの枠組みで捉えたくないんだよ」

  いつもの間延びした口調から、少し早口で流暢に喋る相田先輩。やけに説得力を感じるのは、それが本心からだと分かっているからだろうか。

  俺は雄だから…………ノンケだから、雌を好きにならなきゃいけない。ずっとそう思い込んできた。でも確かに、自分の枠組みを作らずに自由に愛することができるって…………幸せなことなのかもしれない。

  みんな必ず、枠組みを作りたがる。それは社会のなかで自分の存在をアピールするために、枠組みを使った方が分かりやすいからだ。でもそのせいで枠組みに囚われて、枠の外の世界を拒絶しているのが、今の俺だ。

  せめて、この学校にいるときくらい。色んな枠組みが許される世界にいるときくらい、囚われなくてもいいんじゃないかと………………そう思った。

  「…………………あくまで俺の場合だから、渡嘉敷の助けになるかはわからんけどなーー」

  「いや…………あの、すごく勉強になりました……」

  「はは………そんな大層なこと言ったつもりないけどなーーまぁ解決したんならいっかーー」

  相田先輩は牙をちらりと見せながらにっこりと笑うと、のっそりと立ち上がった。ただただ優しくてのんびりしてるだけの先輩かと思っていたけど、意外と相談役にも向いてる人なのかもしれない。これは勝手な印象だけど、久郷田先輩の周りによくいるあやめ先輩と相田先輩は、たまに久郷田先輩の両親のように見えるときがある。それは、二人の面倒見の良さや優しさがあってのことなんだろうけど。

  「そういやさっき利根川が探してたぞーー?」

  「あぁ…………はい、ありがとうございます」

  「また会ったら言っとくなーー」

  どしんどしん、と音がつきそうな歩調のまま、相田先輩は三年棟の方へと歩いていく。以前誰かが優しい巨人と形容していたのを思い出した。本当にそのままだ。

  相田先輩の背中を見送って、やがて見えなくなるまで眺めていた。頭を過っていたのは、もちろんさっきの悩み事について。

  思わぬ人物に助言をもらって、少しだけ気分が楽になった。相田先輩の言うような生き方は憧れるけど、なろうと思ってすぐになれるようなものじゃない。自分についての認識がどんどん変わっていくなかで、柔軟な考え方ができるように………くよくよ悩まずに済むように。この価値観は頭の片隅に置いておこうと思った。

  ふと、一年棟の方を見上げてみる。二階の廊下がガラス越しに見えていて、一年生たちが行き来しているのが目に入る。もし俺が一年からこの学校にいたら、また何か変わっていたかもしれないな。知らない狐獣人の耳を目で追いかけながら、ぼんやりと思った。

  「あっ、いた……………………」

  後ろから声が聞こえて振り返ると、こーすけが怪訝そうな顔をしながら近づいてきていた。そのままベンチの背もたれをぴょんと飛び越えて、俺の隣に腰かける。いつもより少し距離は明けているような気はするけど。

  「…………ねぇもう機嫌なおった?」

  「あぁ………………悪かったな、急に怒鳴って」

  こーすけの方を向くと、春風に三毛模様が波打つ様がよく見えた。猫獣人は毛並みをよく気にする。それは雄も雌も関係なく、ホモのこーすけだって毛艶がいい。

  「いいけど。どうしたの急に?」

  「いや、なんかモヤモヤしてた………もう解決したから大丈夫だ」

  「なんか珍しいね、哲也にしては」

  「そうか?」

  「うん………………………………」

  こーすけは遠いどこかを見つめている。こういう時、大抵何かに思慮を巡らせていることが多いんだけど、それが何なのか当たったことは一度もない。

  そっぽを向いているこーすけの髭に、ふっと息をかけて見れば、ピクッと体を跳ねさせてこっちを向いた。

  「……………………なに?」

  「いや別に。猫の髭って何本あるんだ?」

  「12本。他の猫科は知らないけど」

  「ふーん…………………………」

  少し顔を近づけて、透明に近い髭をよくみてみる。12本と言われても、普通の毛なのか髭なのか分かりづらいのもあってよく分からなかった。

  匂いを嗅ぐ。いつものこーすけの匂い。

  「………………え、なに?どしたの急に?」

  「………………いや、やっぱり無いな」

  「は?なにが?」

  こーすけのきょとんとした顔を間近に、軽く頬が緩む。やっぱりまだ考えられない。俺が雄好きになるなんてこと。仮に俺がこーすけに魅力を感じたとしたら、それは雄だからではなくこーすけ個人の魅力だ。その認識ができただけでも、前進と呼べるんじゃないだろうか。

  すると、こーすけが徐に俯いて顔に手を当てる。

  「はぁ……………………そういう顔俺以外にあんまりしないでね。ほんと無自覚ってタチ悪いんだから」

  「は?なにがだよ……」

  今度は俺がきょとんとする番だった。

  するとそのとき、

  「おい渡嘉敷!!やっと見つけたぞ!」

  またもや背後から声が聞こえたと思ったら、振り向く前にずかずかと歩いてきて俺の目の前に仁王立ちする犬獣人。茶色の毛に敵意むき出しの視線は、俺の頭に嫌なことを思い出させる。

  「昨日はずいぶん逃げ回ってたみたいだけど、今日こそは逃がさないからね!!」

  「え、哲也この人誰?」

  「………………………………………………」

  この人は新谷さん。三年生で、久郷田先輩と同じクラスの人だ。同学年でありながら久郷田先輩のファン……もといストーカーらしい。あやめ先輩から聞いた話は悪いものが多く、この人にライバル視されているのも相まって俺は新谷さんが嫌いだった。

  直接話しかけられるのは二度目……だけどこの様子じゃ間違いなく厄介事を持ってきたんだろう。

  ブンブンと興奮気味に揺れる新谷さんの尻尾。

  「………………何の用ですか?」

  「フン、余裕ぶってられるのも今のうちだよ?今日は大事な話をしにきたんだから」

  新谷さんは得意気な顔をしながら、ごそごそとポケットを漁っている。何を持ってるのか知らないけど、嫌な予感がするのは確かだ。

  そういえば前もこんな感じだった。よく分からないいちゃもんをつけられて、一方的に文句を言われて。人の話を聞かないというのはこんなに厄介なものなのかと驚いたものだ。

  「三年一組…………新谷…………あ、もしかして久郷田先輩のストーカー?」

  「誰がストーカーだよ!?僕はただのファンだから!!」

  ネームプレートから察したこーすけが指摘すると、声を荒げる新谷さん。そういえば久郷田先輩にもストーカーって言われてたと思うけど、その辺は本人としてはどうなんだろう。

  新谷さんは徐にポケットから携帯を取り出すと、何やらポチポチ押してから、ニヤリと厭らしい笑みを浮かべた。

  「これを見ても真顔でいられるかな?ぶりっ子くん」

  「え………………?」

  バッと俺の眼前に出された携帯の画面には、何かの画像が写っている。よく見ると、何やらどこかの町にいる俺と…………久郷田先輩の写真だ。これは恐らく、一昨日のデートのときの写真だろうけど……。

  こーすけも顔を近づけてよく見る。そしてそのあと、うっわ、と声を上げた。

  「もしかして尾行したの?マジでストーカーじゃん…………」

  「違う!!僕は"たまたま"見かけて“たまたま”写真を撮ったら"たまたま"写り込んでただけ!!」

  「…………どっから着いてきてたんですか」

  あの日俺と久郷田先輩は気まぐれに行動していたし、こうやって写真を撮ってるってことは恐らく始めから尾行されていたんだろう。いくら久郷田先輩が好きだからって、そんなのただの迷惑行為だろうに。

  しかし俺らが引く様子を見ても、新谷さんの不敵な笑みは崩れなかった。

  「問題はそこじゃないよ!!よく見なよ!二人が入ろうとしてる場所!!!」

  「………………あ、もしかしてラブホ?へー意外。哲也もう久郷田先輩とセックスしたの?」

  「してねぇよ!…………ていうか………………」

  俺としてはこの写真があることは少しマズかった。久郷田先輩に無理やり連れ込まれたとはいえ、未成年が成人向けの施設に入ったことは事実で。なおかつあの久郷田先輩と行ったってことを、他の誰かに知られたくなかったのに………よりよってこの人にバレるとは。

  「いいのかなぁ?高校生がこういうとこ利用して?もし学校にバレたりなんだりしちゃったらどうなるのかなぁ?」

  「……………………………………………………」

  新谷さんはニヤニヤ顔が止まらないようで、さっきまであんなに勢いよく振っていた尻尾を、今度は上機嫌そうにゆったりと揺らしていた。

  …………これは俺にとってあまり良くない展開だ。もし例えばこのことが学校にバレれば、久郷田先輩もろとも停学か、最悪退学処分になるだろう。間違いなくじぃちゃんにも連絡がいくし、島の人たちにも顔向けが出来ない。この写真は絶対に流出しちゃいけない。

  「…………何が目的?そもそも哲也は久郷田先輩に連れ込まれた側だし、哲也を脅すのは道理が違うと思うけど」

  「目的は一つだよ。久郷田くんに近づくな。君の存在は久郷田くんにとって悪影響なんだよ。これ以上好き勝手にはさせないから!」

  「…………………………えっと………………………………」

  そういえばこの人は誤解してるんだった。この人の中で俺は久郷田先輩を騙していい子ぶって好かれようとしてる悪者らしい。俺がどんなに弁明したって、一向に信じようともせず話も聞かない、だからめんどくさい人なんだった。

  俺がどうしようか考えている内に、こーすけが抗議しているのが横から聞こえる。

  「だから現実見なって。どう見ても久郷田先輩が連れ込んでんじゃん。哲也はただの被害者でしょ」

  「仮にそうだったとしても久郷田くんをたぶらかしたのは間違いなく渡嘉敷くんだね!」

  「何を根拠に言ってんの?そもそも久郷田先輩って昔からヤリチンじゃん。ラブホだって何回も行ってるだろうしさ」

  「今回の問題はそこじゃない!!最近久郷田くんの様子が変なのは渡嘉敷くんのせいだって、データも出てるんだから!!!」

  二人の意見がぶつかり合ってるのを聞いて、耳が痛くなる。ホントに俺は巻き込まれただけだってのに……近づくも何もこっちから接触した覚えは一度もない。

  …………ていうか、久郷田先輩は俺のことが好きなんだ。告白だってされた。そのことを新谷さんに言ったところで信じてもらえないだろうけど……全て受動的であることを分かってもらいたい。

  すると、こーすけが大げさにため息をつく。

  「そもそもさぁ、その写真が流出して一番困るのは久郷田先輩でしょ?内申も消し飛ぶし下手すりゃ退学。そんなことしてアンタに何の得があんの?」

  「っ、………………ぃ、いや」

  「今までだって久郷田は大量にセフレがいたし、ホテルにも行ってる。あんたもそれを尾行したことあるんでしょ?なんで哲也にだけ脅迫するわけ?」

  「それは―――――――――」

  「哲也がデートに誘われた、からでしょ?つまり哲也が久郷田先輩の本命である事実を受け入れたくなかった………恋の応援もできないなんて、大したファンだよねぇ?」

  「ぐッ…………ぅ………………!!」

  新谷さんは言葉に詰まって悔しい顔をするだけになっている。それとは逆にこーすけはよく俺に見せる意地悪な顔をしていた。

  しかし口撃で圧倒するなんてさすがこーすけだ。相手に喋る隙を与えずに、すらすらと口から嫌みを連ねていく。いつもはムカつく意地悪も、こう味方になってくれると心強い。誤解を解こうとかいうより、こーすけを応援する気持ちが勝っている俺がいた。

  「………………とにかく哲也は関係ないんだから関わんないでよ」

  止めと言わんばかりに言い放ち、こーすけは腕組みをしながら新谷さんを睨み付ける。小柄な猫獣人とはいえ、憤然とした態度には威厳を感じる。

  …………しかしそれに対し、新谷さんはふと考え込むような素振りを見せていた。

  「………………、ふーん…………そういうことか」

  「………………は?なにが?」

  こーすけの質問ににやりと不敵な笑みを浮かべ、寝かせていた耳をピン、と立てる新谷さん。種族柄犬の生態には詳しいけど、この尻尾の振り方には嫌な予感を覚える。

  そして新谷さんは唐突に俺に人差し指を突き出した。

  「やはり君は少しずつこの学園の生徒をたぶらかして、権力を手にしようとしてるみたいだね!!」

  「…………………………………………………………はい?」

  「え、なんでそうなるわけ…………?」

  自信満々の顔の新谷さんを前に、呆れる他ない俺とこーすけ。権力?どっからその話になったんだ。

  「君はどうやら雄をたぶらかすのが上手いみたいだけど、僕には通じないぞ…………久郷田くんを守れるのは、僕しかいない……!!」

  「……………………いや、あの…………………………」

  「………………現実逃避もここまでくると病気だね」

  ぐっと拳を握る新谷さんは、きっとまた俺について誤解を増やしたことだろう。もう何をどうしたら信じてもらえるのか、言葉じゃどうしようもない気がしてきた。

  こーすけはもう一言も喋る気もないようで、無言でポケットから携帯を取り出して弄り始めた。まぁ新谷さんも俺のことしか見てないようだけど。

  「今日のところはこれで帰るけど、いつか決定的な証拠を掴んで、久郷田くんの目を覚まさせるからな!!震えて眠れよビッチめ!!!」

  「…………………………………………………………………………」

  「…………………………………………………………………………」

  俺たちの反応なんて気にならないのか、高笑いしながら中庭から出ていく新谷さん。正義の味方なんだか悪者なんだか分かんないけど………多分これからも俺にとってめんどくさい人には変わりない。

  肩を揺らしながら歩く後ろ姿を見つめていると、こーすけにそっと肩を叩かれる。振り返ると、携帯はもうしまっていた。

  「帰ったら久郷田先輩に告げ口しようよ。本人が言ったら認めざるをえないんだしさ」

  「………………もうあの人には何を言っても無駄なような気がするけどな」

  「…………あ、でも一つ的を得たことは言ってたかも」

  「は?」

  こーすけの顔を見ると、新谷さん相手のときにも見せた意地悪な表情をしていた。いたずらっ子のようにニヤリと微笑んで見せる。

  「雄をたぶらかすのが得意ってやつ。もう四人もハートを射止めてるもんねー?」

  「…………………嬉しくねぇよ…………てか三人だろ?」

  こーすけ、篠崎、久郷田先輩………いずれも寮生の癖が強い人たちに言い寄られて困っているところだ。得意と言うと俺が意図的にやってるように聞こえてしまうけど、全くもってそんな気はない。

  「あっ、そっか…………まだだもんね」

  「………………?なにが?」

  「いや。何でもない。でもその才能活かしてホントに学校の権力握っちゃえば?」

  「嫌だし……無理に決まってんだろ。権力なんかほしくねぇよ」

  そう言うと、目の前の三毛猫は目をぎゅっと細めて笑った。

  [newpage]

  少し時は飛んで放課後。ホームルームがいつものように爆速で終わるうちのクラスでは、早くも生徒たちの話し声で賑やかになる。各々机を立って友達同士で群れたり、教室の真ん中は女子グループが陣取っていたり、片隅に追いやられる少数の男子たちだったり。

  俺とこーすけはいつものように、席から離れずに話をする。とかしき、とねがわ、狙い済ましたかのように席も前後だから、喋るときも移動する必要がない。

  前を高田の尻尾がぶらぶら揺れながら視界を通り過ぎたあと、こーすけから声をかけられる。

  「上柴くんとこのクラス、これからホームルームだって。ちょっと遅れるかもね」

  「あぁ…………わかった」

  色々他の出来事があって忘れそうになっていたが、今日は早速上柴のストーカーを捕まえにいくことになっている。上柴のクラスがホームルームを終えたあと、こーすけに連絡してもらい、俺たちが上柴を尾行しつつストーカーを捕まえる。もちろん今日現れるかは分からないから、数日かかる可能性もあるけど。

  昨日こーすけが考えた作戦では、上柴に寮までの下校中、コンビニとデパートを経由してもらい、その間にストーカーを炙り出す計画だ。学校が終わった直後は人通りが多く、一人を見つけ出すのは難しい。あえて遠回りさせて泳がせることで、ストーカーの正体が絞りやすくなるということらしい。

  実際通り道が同じというだけだった可能性も考慮して、仮に怪しいやつがいても声はかけないことに決めた。何日も同じ道順を追いかけてくるやつがいれば、そいつが犯人だと断定できる。

  そして何より俺たちがストーカーに気づかれないようにしなくちゃならない。だからあえて非効率な二人という選択をとったのだ。

  「上柴くんによるとストーカーはほぼ毎日現れるらしいから、今日もきっと出てくるよ」

  「…………にしてもそんだけ毎日ストーカーしといて正体がバレないのもなかなかすごいな」

  「俺の推理だと、たぶん鳥類じゃないかなって。視力がいいから、遠くからでもついていけるでしょ?」

  「視力がいいのは一部の猛禽類だけだろ。猛禽類って目立つし、ストーカーなんかしてたらすぐバレるんじゃねぇか?」

  「じゃあ目立ちにくい種族ってなに?爬虫類とか?」

  「……………………………………………………………………」

  そう聞き返されると困るけど。正直種族から予想するには情報が少なすぎる。稲光の生徒の可能性があるせいで、性別すら推測できない。まだ何も分からないからこそ、今日確認に行くんだけど。

  「まぁでもそれより重要なのはどこの誰かってとこだよねー。うちの生徒だとしたら教師に報告すればいいんだし」

  「………………でも上柴は親にバレたくないんだろ?教師に言ったら絶対親に連絡がいくだろ」

  「あ、そっか。じゃあ俺たちで二度としないように懲らしめるしかないね」

  そう言って露骨に嬉しそうな顔をするこーすけ。こいつが暴走するのを止めるためにも、俺は最後まで付き合った方がいいだろう。こいつには、一人だと何をしでかすか分からない怖さがある。

  くわぁ、と大きなあくびをして、こーすけは再び携帯に目を落としながら話しかけてくる。

  「どうせ十中八九ショタコンのキモい親父とかだと思うけどね。わざわざ稲光の生徒を狙うってことは、こっちがゲイだって知ってての犯行だし」

  「じゃあなんで上柴なんだ?」

  「たまたま目についたんじゃない?上柴くん顔かわいいし」

  「…………………………………………………………」

  まぁ確かにかわいいけど。たまたま目についたからってストーカーにまでなるだろうか?人を犯罪行為にまで至らせる理由って、そんな単純じゃない気がする。きっとたぶん、上柴と昔関わりのあった人物とか……何か理由があるはずだ。一度話くらい聞いてやってもいい気はする。

  俺がまた深く考え込んでいると、肩を軽くポンポンと叩かれた。

  「なぁーなぁー渡嘉敷!!ジュース買いにいかね?」

  振り返ると高田がこれみよがしに100円玉を取り出しながら、いつの間にか俺の机の上に座っていた。

  「………………嫌だ。俺放課後予定あるし」

  「えぇーーなんだよ予定って!?ジュース買いに行くくらいいいだろぉー?なぁーなぁーなぁー」

  「うるせぇよ!揺らすな!」

  俺の両肩を掴んで前後に揺さぶる高田の馬鹿力に、頭蓋骨がぐらぐらと揺れた。

  最近はなにかと秋沢に絡みに行ってたから、直接話すのは少し久しぶりに感じる。だからといって鬱陶しいことに変わりない、さっさと秋沢に押し付けるか。

  「いつもみたいに秋沢誘えばいいだろ」

  「秋沢は生徒会のなんちゃらでいねぇんだよぉ!あと五十円貸してくんねー?」

  「い や だ!!!」

  目の前で両手を合わせて拝んでくる高田を一蹴して、机の上から降りさせる。

  すると俺のうしろから、こーすけが口を挟む。

  「ねぇねぇ高田くん。高田くんと秋沢くんって付き合ってんの?」

  その何気ない口調で放たれた質問に、高田は背筋をビクッと痙攣させ、ピンと尻尾をたてたままぎこちなくこっちを向く。

  「いやっ!!全然っ!!!全くないな!全く!!」

  「………………全く?」

  「そうそう全く!!ゼロだよゼロ!!百パーゼロ!!!」

  「………………………………………………………」

  なんだそのある前提の否定の仕方は。百パーゼロってどっちなんだよ。

  前々から脳筋でバカで頭空っぽだなと思ってたけど、どうやら嘘も苦手らしい。手のひらでゼロを作って必死にアピールしている様子は滑稽で、笑いそうになるのをこらえた。

  「全くねぇから!絶対秋沢にその質問すんじゃねーぞ!!」

  「うんわかったしないよー。ホントにゼロなんでしょ?」

  「ゼロゼロっ!!」

  そのまま焦ったように鞄を持って教室から逃げるように出ていく秋沢の背中を見送りながら、こーすけは腹を抱えて笑っていた。

  …………まぁ確かにここまで嘘が下手なやつそうそういないと思うけど。

  「ゼロゼロだって………ほんとかわいいね高田くん」

  「…………なんで隠してんだろうな。どう見てもバレバレなのに」

  「秋沢くんが言いたくないんじゃない?照れ屋だし家系のこともあるしさー」

  そう言って再び携帯に目を落としたこーすけ。徐にポケットに携帯を入れて立ち上がり、鞄を持つ。

  「上柴くん終わったって。いこ?」

  「………………………………………………あぁ」

  ピコピコと弾む耳から目を逸らし、俺も鞄を手に取った。

  「あっ、いた。着いてこ」

  「………………この人混みじゃストーカーがいてもわかんねぇな」

  多種族の獣人が雑踏する放課後の校門付近は、俺も普段からなるべく避けるようにしてる。人が多過ぎてごちゃごちゃしてるし、たまに波に流されて関係ない方向に行ってしまいそうになる。

  少し足早に校門に到着してから上柴が来るのを待っていると、少し不自然にキョロキョロと周りを見ながら歩いてくる狐獣人の姿があった。

  上柴には遠回りしてもらうために、大通りに面したコンビニとデパート、そしてそこから寮までの人通りが少ない路地に入る道を通って帰ってもらうことになってる。大通りは通行人も多いからストーカーを絞り込むのは厳しいだろうけど、路地まで着いてくるとなれば流石に分かるはずだ。問題は、人違いを絶対にできないこと。決定的な証拠を掴むまで、断定してはいけない。

  校門から出て左に曲がる上柴を、少し遅れて後を着いていく。そもそも通る道は知ってるんだから、ある程度距離が離れてしまっても問題ない。目視できる距離くらいを保って…………ってのも難しいけど。

  「哲也、上柴くん見える?」

  「あぁ…………でもまだ人が多過ぎる」

  俺たちと上柴の間には十数人の獣人がいて、身長の問題でこーすけからは目視できないらしい。このわずか40m内にストーカーがいるとは限らないけど、もしものことを考えて一人一人に視線を這わせる。

  イヌ科もネコ科も鳥類も爬虫類も………ありとあらゆる種族がごちゃまぜになっている。唯一の共通点といえば、皆同じ学生服を着ているということ。例えばこの中に不意におっさんが紛れ込んできたら、そいつだと思っていいかもしれない。それくらい怪しげな人物は見当たらない。

  「ちょっとスピード落とそうか。もしかしたら俺らより後ろにいるかも」

  「見失わない程度にな」

  こーすけの提案で少し上柴から距離を取ってみる。数人に追い抜かされたけど、特に違和感のあるような獣人はいない。それくらい犯罪者ってのは俺たちの中に自然に溶け込んでいるものなんだろう。

  歩調を落としながらも、上柴を見失わないように三角の耳を追いかける。こーすけに、あまり周りを気にせず自然に振る舞えと指示をされた通り、一度も振り返る様子はない。ストーカーに警戒されるのが一番よくないからな。

  そこからしばらく歩いて、上柴は途中のコンビニへと入っていった。俺たちはわざわざ中に入るまでもなく、出入りする人たちを見ていればいい。

  十数人いた候補はあっという間に絞られていき、上柴と同じくコンビニに寄ったのはそのうち四人だった。こーすけは何気なく携帯で写真を撮り、証拠として保存する役だ。袖の中に上手いこと隠している様は味方にしたら頼もしかったけど、俺もこんな感じで盗撮されてるんじゃないだろうかと不安になった。

  「うーん………上柴くんと同じタイミングで出てきた奴が怪しいかな」

  「……………………候補は?」

  「この人たち。イヌ科が二人………雌が一人、鳥類が一人だね」

  こーすけの推理だと鳥類が怪しいって話だったから、上柴のすぐ後ろを歩いていた鳥獣人が怪しいかもしれない。また、恋愛目的でストーカーしてるんであれば唯一雌の一人は候補から外れる。少しずつ絞れてきたかもしれない。

  上柴は数分してからコンビニを出てきた。上柴の前に出てきた奴が一人、残りは上柴が出てきてから順番に現れた。

  その中でも鳥獣人は上柴のすぐ後に出てきたのもあり、俺とこーすけはまずそいつをマークした。

  「…………見た感じ三年生かな。背も高いし一年って感じじゃなさそう」

  「細かい種族までは見えねぇな………」

  コンビニから出てきた上柴と再び50mほど距離を置きながら、尾行を再開する。四人のうち雌の獣人はコンビニから出るのが遅く、また進行方向も違ったようだ。早々に一人削れたのは大きい。

  今現在、上柴の前に一人、上柴の後ろに鳥獣人ともう一人といった配置だ。学園から着いてきてるのはこの三人のみ。他には間に誰もいない。

  今のところ怪しいのは鳥獣人だ。背が高く大柄で、恐らく猛禽類だと思われる。鳥獣人は基本的に羽を背中の後ろに仕舞っているため、顔の模様とか嘴じゃないと種族を判別しづらい。後ろ姿だけじゃ詳細な情報までは読み取れないのがもどかしい。

  少し遠いが一番前にいるのは、恐らく白い犬獣人。身長や体格は普通だ。耳の形からしてダルメシアンかなんかだと思う。学園から進行方向が同じだったとはいえ、上柴より早くコンビニから出てきたのであんまり怪しくはない。

  一番俺たちに近い距離にいるのはイヌ科の誰かだ。頭の後ろが黒くて、犬じゃないことは分かるが何の種族かは分からない。携帯を見ながら歩いていて、前はほとんど見ていない。ストーカーなら目で追いかけるだろうし、疑いは薄い。

  「…………あの鳥獣人コンビニから出てきたのにレジ袋持ってなくない?」

  「………あ………………確かにそうだな」

  「これはほぼ百パーアイツかも。写真撮っとこ」

  上柴のすぐ後にコンビニから出てきたのに、何も買った様子がないのはかなり怪しい。袋なしで買ったのかもしれないけど………それにしては時間がかかりすぎだ。

  俺たちが鳥獣人についてあれこれ言っているうちに、手前にいたイヌ科の獣人が道を曲がり、残る候補はほとんど一人になった。そしてそれから少ししてすぐ、上柴がデパートに入っていくのを確認した。

  コンビニのときとは違い、ほとんど一人に絞っていた俺たちは鳥獣人の後を着けていくことにした。当然のように上柴に続いてコンビニに入っていく鳥獣人の背中を追いかける。

  「……………………一回上柴くんは放っといて、この人追いかけよう」

  「……………………あぁ」

  小声でこーすけと応答しながら、たまたまデパートに買い物にきた寮生を装って、少しずつ距離をつめる。周囲の人混みの中で、まるで何か一つの目的を追いかけるかのように迷いなく進む鳥獣人に、俺たちの疑いはどんどん増していた。

  途中まで見ていたけど、上柴は一階のスーパーで買い物をしているようだった。 鳥獣人も一階をうろつきながら、少し急ぎ足で歩いているようだ。もしかすると上柴を見失ったんだろうか?あたりをキョロキョロと見渡し落ち着きのない姿に、不信感が募る。

  とはいえ俺たちが尾行してるのもバレてはいけない。所々立ち止まって商品を手に取ったり、目移りするふりをして、見失わない程度に鳥獣人を追いかける。こーすけは慣れているのか自然とやってのけるけど、俺は動きがぎこちなくなっていたのを自覚してる。でも鳥獣人がこちらを警戒してる様子はなく、ただ誰かを探しているような素振りだ。

  「………………上柴くんを見失ったのかな?今どこにいるかLINEで聞いてみるね」

  「……………………鞄に名札がついてるぞ。三年三組だ」

  「確か三下先輩と同じクラスだね………後で知ってるか聞いてみよう」

  鳥獣人との距離は、おおよそ5m。その距離を保ちつつ、未だにキョロキョロと辺りを見ている鳥獣人の背中を追う。近くに来てわかったけど、恐らく鳶だ。その鋭い嘴と目が、いつ上柴に向けられるかと思うと少し心がぞわっとする。

  ストーカーって好きな人を粘着してつけ回る人のことだとは知ってるけど、それってエスカレートしていくとどうなるんだろうか。今は見ているだけかもしれかいけど、そのうち本人に危害を加えることだってあるかもしれない。早いうちに摘発できるのは、上柴にとってもプラスしかないはず。

  つまりはストーカー………この鳥獣人を捕まえて、再犯しないように話をつけないといけない。遅くなればなるほど、事態は好転するとは思えない。

  冷凍食品の列を通って、今度は魚売場へと歩いていく。やはり買い物をしに来たようには見えない。こーすけも同じ事を考えているのか、平静を装いながらも尻尾が緊張で張っていた。

  そのとき不意に、鳥獣人が何かを見つけて立ち止まった。ピクリと急に反応したのを見て、俺たちも同時に立ち止まる。

  そして視線の先へと真っ直ぐ、ずんずんと速いペースで歩いていく。何か悪い予感がして、俺も早歩きで鳥獣人の背中をつけていく。 もしかすると上柴を見つけたんだろうか?こんなに人が多いところでは何もできないはずだけど、この迷いのない歩調には何かが起こりそうな気配を感じる。心臓が歩く速度に比例して、鳥獣人に聞こえるんじゃないかと不安になる。でも歩調を緩めるわけにはいかない。もし上柴に危害を加えるようなことがあればすぐに止めないと―――――

  「あぁいたいた!!めっちゃ探したわ!!」

  「え?唐揚げ買ってるって言ってたじゃん」

  「いやコンビニなのかスーパーなのか言えよぉー全然見つかんなくて焦ったわーー」

  鳥獣人はお惣菜コーナーにいた豹獣人に駆け寄り、親しげに喋っていた。付近に上柴はいなかったし、どう見ても友達と待ち合わせしていただけのようだった。

  俺は体が固まってしまい、頭だけ動かしてこーすけの方を見る。こーすけも尻尾をピンと硬直させて、丸い目をさらに丸く広げていた。

  「……………………え、ストーカーじゃないの……?」

  「……………………たまたま道が一緒だったのか?」

  慌てて我に帰ると、こーすけを引っ張ってお菓子コーナーへと入る。完全に鳥獣人をストーカーだと思い込んでいたので、一瞬動揺で頭が真っ白になった。

  こーすけは深いため息をつく。

  「…………いや紛らわしすぎるでしょ…………こんな偶然ってあるわけ?」

  「………………じゃあ本当のストーカーは誰なんだ?」

  いやそれより俺たちは全く関係ない普通の人を尾行し続けていたということになる。本当のストーカーは俺たちなんじゃないだろうか。

  気づかれてなくてマジで助かった………と安堵したのも束の間、すぐにあることを思い出す。

  「…………おい、上柴は今どこなんだ?」

  「あっ!」

  こーすけはすぐにポケットを漁り携帯を取り出すと、焦った口調で言う。

  「二分前にレジです、って来てる!もう外出たかも」

  「っ、行くぞ」

  再び慌てて走りだし、ぶつかってしまった主婦の人に謝るのもそこそこに、俺たちはデパートの出口へと急いだ。

  幸いすぐに外に出た為に、上柴にはすぐに追いついた。デパートでの買い物も終えて、ルート的には人通りの少ない路地の方へと入っていた。ここまでくればストーカーもだいぶ絞り込めるだろうと踏んでのルートだったけど、その分見晴らしが悪く距離感を掴み続けるのが難しい。それに加えてさっきの大幅なタイムロスもあり、再び尾行体制につくまでは結構時間がかかった。

  こーすけはさっきの人違いが相当堪えたのか、ひっきりなしに欠伸をしている。そういえば昨日寝てないって言ってたっけ。かなり眠そうだった。

  「………………やっぱり今日は外れかなぁ。俺たちに勘づいて逃げたのかも」

  「…………そもそも生徒じゃない可能性もあるしな。また別の日に確かめる方がいいかもしんねぇ」

  「ふわぁぁ…………どうする?今日はもう上柴くんと合流しちゃう?人通りも少ないし」

  こーすけが眠くなってきて面倒になったのは容易に想像できた。相変わらず気分屋というか、猫獣人らしい性格だ。

  とはいえ学園からここまで追ってきてストーカーらしき人物が見当たらないということは、勘づかれた可能性もある。きっと今日は現れないだろうし、上柴の話も聞いておきたい。合流するのもそれほど悪くない気はしてきた。

  「…………つーかいつもと同じ帰り道じゃないと、流石にストーカーもついてこれねぇんしゃねぇか?」

  「あそっか。もしストーカーの正体が生徒なら、今日見た人たちの中にいたと思うけど………それらしい人はいなかったし。学園外の人の犯行かもね」

  もしストーカーが上柴のいつもの帰り道に潜んでいてそこから尾行してるんだとしたら、今日ついてこれないのも納得だ。つまりそういった選択肢を取らざるを得ない人………学園の外の人間の犯行じゃないだろうか。

  まぁ今日のところはそれが分かっただけでも十分な成果な気がする。連日後をつけ回したらストーカーに怪しまれる危険性もあるし、日を置いて再び同じ作戦を試してみるのも吉だろう。

  ちらりとこーすけの方を見れば、ちょうど喉の奥が見えるんじゃないかと言うほどの大あくびをしたところだった。

  「…………帰ったら一回寝んのか?」

  「ぅーーん…………寝たいけど点呼で死にそう。起こしてくれる?」

  「あぁ。でも一回で起きなかったら置いてくからな」

  「えぇーー絶対ムリ………………ふわぁぁぁ…………」

  睡眠に正直な猫獣人らしい。特に暖かいものに弱く、四月下旬の夕方の陽光なんかには太刀打ちできないだろう。眠くなったときのこーすけは、いつもの意地悪さとか変態さは抜けて、子供のように見える。

  上柴の後ろ30mくらいをのんびりと歩きながら、友達と喋りながら歩く。そういえば寮生になってから、登下校の時間をゆっくりと楽しむことはなかったような気がする。島にいたころは毎日五キロくらい歩いてたし、その時間をずっとカイと喋りながら過ごしていた。家と学校が遠いと大変なことも多いが、こういう時間も案外青春と呼べるんじゃないだろうか。

  「そういえば来週からゴールデンウィークじゃん?哲也は実家に帰るの?」

  「………………わかんねぇ。じぃちゃんには帰ってくんなって言われた 」

  ついこの間、また島の人たちと電話をしたときに、たまたまじいちゃんもそこにいて。俺としては島に帰ってカイに会いたかったし、島の人もみんな帰ってこいって言ってくれたのに、じぃちゃんだけは頑なに帰ってこんでいいと譲らなかった。まぁ昔から頑固な人だし、じぃちゃんも俺が嫌いだから言ってるんじゃないことは分かってる。でもそのせいで、今度のゴールデンウィークは寮に居続けることになりそうだった。

  「…………こーすけはどうすんだ?」

  「え俺?帰るわけないじゃん………お金もかかるし面倒だし。多分久郷田先輩とかあやめ先輩も帰んないから、ご飯連れていってもらおうかなー」

  「それもそうか………………」

  そういえば、お金の問題があるんだった。現状学費と俺の生活費はじいちゃんの貯金から出てるんだけど、それだって十分にあるとはいえない。都会と田舎の物価の違いは言わずもがな、学生は何かと金がかかる。じぃちゃんは心配すんな、って言ってくれてるけど、そんなのただの強がりだろう。もしかして金銭的に厳しいんだろうか。詳しいことを、島の大人たちは誰も教えてくれない。

  バイトしようかな。せめて自分の生活費くらいは自分で賄いたい。せっかく都会に来たんだし、何もしないわけにはいかない。

  「哲也も寮にいなよ。今年は六連休だし、どっか遠く行くのもいいんじゃない?」

  「あぁ…………………………………………?」

  返事をしようとしたそのとき、語尾が思わずうわずってしまった。俺たちと上柴の間に、不意に一人入り込んできた。帰り道によっちゃそんなこといくらでもあり得るし、たまたまだと思ったんだけど。

  「………………………………おい、あいつ………………」

  「ん?何…………………………?」

  どこかで見覚えがあると思えば、さっきの鳥獣人ともう一人のストーカー候補だった、あのイヌ科の獣人だった。学園からついてきていて、確かデパートの手前でいなくなったはずだ。上柴はデパートで買い物をしてからこの道に来ているから、どう考えても時間をロスしている。そこにちょうどよく同じタイミングに同じ人が同じ道に現れるだろうか?

  俺の思っていることがこーすけにも伝わったのか、お互いに口をつぐむ。そいつは未だに携帯をいじりながら、ゆっくりとしたペースで歩いている。特に何かおかしな様子はないけど…………それがかえって怪しい。なんであんなに携帯を見ながら歩いてるんだろうか。

  体はそんなに大きくない。身長は170センチくらい……俺とこーすけ二人がかりなら絶対捕まえられるだろう。種族は……ハイエナだろうか?前から見たわけじゃないから分かりづらいけど。

  「…………っ、ねぇあいつ…………写真撮ってない?」

  「…………ぁ?」

  突然こーすけが張りつめた小声で訴えてきた。パッと見はただ携帯をいじってるだけに見えるけど………。

  「時々前に向けてるでしょ?…………あ、ほら…………」

  確かに言われてみれば、携帯をいじるだけならずっと下を向いているだけでいいはずだ。少し斜めからみないと分かりづらいけど、時折携帯を前に向けて不自然な動きを繰り返しているように見える。

  …………もしかして盗撮してるんだろうか。

  「…………っ、今完全に撮った!捕まえよう!!」

  「っ、あぁ!!」

  不意にこーすけが走り出す。猫獣人の瞬発力で、あっという間に標的に近づかんばかりの勢いだ。俺も少し遅れたが、本気で走ればこの距離なんて一瞬だ。

  その足音を聞いてか、ストーカーはこっちを振り向いて慌てて別の道へ走り出した。間違いない、やましいことをしている人じゃない限り、足音くらいじゃ逃げないはずだ。

  閑静な住宅街に、三人の足音が響き渡る。ストーカーはなかなか逃げ足が速く、猫科のこーすけは途中でスピードが落ちてきた。イヌ科同士の追いかけっこは持久戦になり得る。人通りが多いところへ逃げられると厄介だし、早めにケリをつけなければ。

  風を切る。踏みしめたアスファルトが大きな音を響かせて、空気の流れる音と共に耳へ入ってくる。それを遮るように耳を寝かせて、一歩、また一歩と確実に近づいていく。

  タンタンタンとリズミカルに刻まれる音。俺の方が速い。全力で走る喜びが、獲物を追いかける喜びが、俺をさらに加速する。背中はぐんぐん近づいていき、ついには手を伸ばせば届きそうなほどに。

  そのときだった。

  ドンッッ!!!!!!!

  「っ、いって…………ぇ…………!」

  「ぅぐっ!!っェ…………ゲホッゲホッ…………!!」

  体に強い衝撃を受けて、俺は道路に転がった。思いきり頭をぶつけたせいで、キーンと耳慣りがして視界がチラつく。どうにも横から来た何かと勢いよくぶつかったようで、硬いアスファルトに手をついた。

  「…………ぁ……イッタタタタ……ってあれ?センパイ何やってんすか?」

  聞き覚えのある声になんとか顔を上げれば、そこにはサッカー部のユニフォームを着た篠崎が鳩尾を押さえながら立っていた。

  痛い、という感情を押し殺して、なんでこいつがここにいるんだ?と思い周りをよく見てみる。

  「……………………ここ……………………?」

  「いやここサッカー部の周回ルートっすよ。急に飛び出してきたと思ったら………ほんとにどうしたんすか?」

  よく見れば、ここはちょうど学園の周りをぐるりと囲む道路だということに気がついた。サッカー部を始め、多くのスポーツ部員たちが走り込むために使っている道。俺も何度も目にしたことがある。

  どうやらストーカーを追いかけるのに夢中になっているうちに、学園の方まで来ていたらしい。

  「……って、ストーカーは!?」

  「ストーカー?…………いや、なんか誰かが全速力で逃げていきましたけど…………?」

  道路を見渡しても、ストーカーの影は全くない。俺が衝突事故を起こしてる間に、どこかへ走り去ったらしい。周囲の臭いを嗅いでみても、あまりにも色んな臭いがしてストーカーのは判別できない。完全に見失った。

  すると、小走りでこーすけが現れる。キョロキョロと回りを見てから、はぁとため息をつく。

  「哲也大丈夫?…………あ、あと篠崎くんも」

  「いや俺どっちかっていうと被害者っすよ!!?」

  「…………お前のせいで見失ったじゃねぇかよ」

  「えぇぇ俺のせいすか!!?」

  パンパン、と膝についた砂利を払って、ぶつかった箇所をさする。あんなに全力で走ったのは久しぶりだし、その全力で篠崎にタックルしてしまったようだった。体の痛みは置いといて、何よりせっかく見つけたストーカーを逃してしまったのが悔やまれる。盗撮していたこと、追いかけたら逃げ出したことが何よりの証拠だ。一瞬しか顔も見れなかったし、今後捕まえるのは困難になるかもしれない。

  「センパイたちどうしたんすかホント?めちゃくちゃビックリしましたよ」

  「はぁ………………哲也、今日のところは捕まえるのは無理だね。大人しく帰ろ」

  「あぁ…………っくそ、頭いてぇ………………」

  「いや無視すか!!??」

  うるさい篠崎は置いておいて、俺たちは肩を落として寮へと帰った。篠崎のせいでたんこぶが出来ていたのは言うまでもないだろう。

  その日の夜。点呼も終わり、俺たちは上柴の部屋に集合していた。枕を離さないこーすけをなんとか起こして、上柴と篠崎がいる部屋までなんとか連れていった。

  目的は今日の経緯を話すことにもあるし、今後の方針を決めることにもある。

  上柴のベッドの上にこーすけ、篠崎のベッドの上に俺、上柴と篠崎をそれぞれ学習机に座らせて、再び作戦会議から始まった。

  「へーー上柴ストーカーいたのか。そんでセンパイたちが捕まえようとしてたんすね?」

  「あぁ。お前とぶつかったせいで逃したけど」

  「僕も急に後ろで大きな音がしたのでびっくりしました。犯人の顔は見たんですか?」

  「見たけど一瞬だったよ。正直あんまり覚えてない」

  現状ストーカーについて分かる情報といえば、この学園の生徒、雄のイヌ科獣人ということだけだ。そんなのいくらでも候補がいるし、探すとなればかなりの手間になりそうな気がする。上柴の関係者だということを踏んで、もっと絞り込めたらいいんだけど。

  当の上柴は風呂上がりのようで、湿った頭の上に純白のバスタオルを載せている。

  「でも学園の人だとは驚きました。同じクラスの人なんですかね……?」

  「うちのクラスにいるイヌ科って五人くらいいるっすよ。もうちょっとなんか情報ないすか?」

  「部活動生じゃないと思うけど。耳の辺りが黒っぽかったかなー」

  「…………ハイエナっぽかった気がする」

  「曖昧っすねー」

  ハハハと笑う篠崎の頭を小突く。今日俺たちがどんだけ大変な思いをしたと思ってんだか。

  でも曖昧というのは確かにそうで、あんまり印象的な外見ではなかった気がする。あくまでぽかったの域を出ないのが、どうにも悔しいところだった。

  「うーん…………ごめんなさい、ちょっと思いつかないです。クラスにハイエナ獣人はいないと思いますし…………」

  「上柴はよく女子と喋ってるもんなー」

  「クラスの他にはいないの?部活で一緒とかさ」

  「今年演劇部に入った一年は僕だけですよ?」

  「…………………………………………………………」

  ここまで手がかりがないんじゃ断定しようがないな。例えばいち早く登校して校門の前で待機して、そいつが来るまで待つとか…………いや、はっきりと特徴を掴んでない分めちゃくちゃ人違いを起こしそうだ。悪目立ちするだろうし止めておこう。

  少しの間沈黙が訪れる。きっと各々これからどうしようか考えているんだろう。篠崎あたりは何もかんがえてなさそうだけど。

  「……まぁ今んとこどうしようもないんじゃないすか?また今度尾行して捕まえましょうよ。俺も手伝うんで」

  「でもしばらくは姿を現さないんじゃねぇか?俺たちの顔は割れてるし」

  「上柴くんのストーキングの仕方もかなり独特だったしね。そういえば、どうやって違う道から上柴くんの位置を把握してたんだろ」

  言われてみればそうかもしれない。一度違う道に逸れてから、買い物を終えた上柴に再び合流するには、それこそ上空から追跡でもしないと追いかけようがないはず。どういう手を使ったんだろうか。

  ………………ん?待てよ上空から?

  「…………おいこーすけ。俺はよく知らねぇけど……GPSとかがあったらそれって出来んのか?」

  「え?あぁ………小型の発信器かなんかあれば。あとは最近だとグーグルマップとかアカウントを連携させればいけるかな」

  「でも僕そんなことしてないですし………グーグルマップだと結構誤差があるんじゃ…………」

  「じゃあもしかしたら上柴くんに発信器を仕掛けたのかも。ここまで精度の高いやつだとかなりの値段するけどね」

  「え?高校生がそこまでやります?」

  「………………あり得るかもな」

  確かに普通の高校生がそこまで手の込んだことをやるとは思えないけど、それくらいの理由がないと説明のつかない出来事だった。念のため、発信器を探してみる必要があるかもしれない。

  こーすけは立ち上がって、クローゼットに掛けてある上柴の制服に手をかける。

  「発信器を仕掛けるなら、上柴くんが外に出るとき常に身につけてるものだと思う。それでいてバレにくくて…………」

  「財布とかすか?」

  「流石にそれはリスクが高いと思う。マメな人なら財布の中身はしょっちゅう整理するだろうし」

  「身につけてるもの…………?なんだろう…………」

  上柴も立ち上がって、自身の鞄や机のなかを調べ始める。ここまで手の込んだことをするとなれば、犯人は相当用意周到なハズだ。絶対に気づきにくい場所に仕掛けてるに決まってる。

  「持ち物…………じゃないんじゃないすか?俺だったら服とかにつけるっすよ」

  「服は毎日着替えるだろ。それで言うなら…………」

  「靴?」

  俺が結論を出す前に、こーすけはハッとした表情で振り返った。確かに靴の中とかなら滅多にチェックはしないだろうし、毎日履いて外に出てる。制靴は革製だから、水にも強い。

  それからこーすけがすぐに部屋のドアを開けて、俺たちは一階の玄関へ向かった。階段を飛び降りる勢いで走り抜けて、あっという間に靴箱の前へ。途中他の寮生に不審な目で見られたけど、今はそんなこと気にしてる場合じゃない。

  上柴が自分の靴を取り出して、中を調べ始める。中敷きの下なら、パッと見はわからないだろう。

  「………………あるのか?」

  「…………いえ、それらしいのは何も…………」

  「靴底は?」

  「………………ないですね」

  杞憂だったか、と少し安心しつつも残念にも思ったそのときだった。

  右の靴を置いて、上柴が左の靴を縦に持ったとき、カラン、と軽い音を立てて何かが転がっていった。

  咄嗟に目で追いかけたこーすけがすぐさましゃがんで拾い上げる。黒くて丸いなにかは一見石のようにみえるけど、それは明らかにプラスチックで出きている。

  「え、マジすかそれ……………………」

  篠崎が目を丸くして顔を近づける。俺も信じがたい。こんな小さなもので位置情報が伝わってしまうんだろうか。

  上柴は驚いた顔で再び靴の中を見る。

  「………………中敷きの裏にテープで固定してあったみたいです」

  「相当…………マジみたいだね。このストーカー」

  「いやいや…………警察に行った方がいいんじゃないすか?」

  「…………警察は無理だ。俺たちで解決するしかない」

  みんなの表情を見るに、各々が複雑な顔をしていた。こーすけは恐らく、半ばこの状況を楽しんでいるんだろう、尻尾が興奮でくねくねと揺れている。

  篠崎はただ驚愕していて、だらんと尻尾を下げて小型発信器を目を丸くして見つめている。

  上柴はというと………………自分の体を抱き締めるように腕を組んで、手のひらにぎゅっと力を込めていた。きっと怖いんだろう………そりゃそうだ。

  沈黙の最中、篠崎がそれを打ち破るかのように明るい声で言う。

  「ぃ、いやでもそれが本物だって証拠はあるんすか?もしかしたらただのゴミかもしんないし…………」

  「ゴミを中敷きの下にテープで固定したの?そっちの方がよっぽと不自然だよ」

  「……………………ど…………どうしたら………………」

  こーすけと篠崎はあれやこれや言い合っているし、上柴はただただ戸惑っている。発信器を見つけたはいいけれど、これからどうするべきなのか…………俺にも正解はわからない。相手がどれほどまで本気なのかは伝わってきた。もし下手な行動をとって、上柴が被害を受けるようなことがあれば…………それだけは避けなければならない。

  ふと気づいた。隣にいる上柴の肩が、微弱に揺れている。恐怖で震えているんだろうか…………確かに今までの自分の行動が、事細かに監視されていたことが分かったら、気持ちが悪くて仕方ないだろう。

  少しでも、慰めになればいいんだけど。そう思って、俺は上柴の肩に腕を回した。

  「………………っ、先輩……………………?」

  「………………本物かどうか分かりやすく判別する方法は一つだけある」

  上柴の背中を優しく撫でる。緊張でピンと張っていた黄金色の尻尾が、少し緩和したような気がする。

  こーすけと篠崎も、俺の方を見る。

  「なんすか…………?その方法って」

  「………………これを持って外に出てみたらいい。ストーカーが現れたら、本物だ」

  「………………………………そうだね。それが一番早い気がする」

  上柴が、肩に回した俺の手にそっと触れた。ここは後輩を守るために、多少のリスクを払うべきかもしれない。他にもっといい方法が思いつけばいいのに……今の俺たちにはこれしかないような気がしていた。

  チラリと横を見れば、宝石のような狐獣人の双眸があった。それは光を反射して、また少し不安げに揺れた。

  [newpage]

  「基本的に、寮の窓には全部格子がついてる。でも一ヶ所だけつけ忘れてる場所があるんだ」

  こーすけはすらすらと説明しながら、脱衣場の扉を開けた。点呼も終わり、こんな時間にはもちろん誰も利用していない。真っ黒な廊下を抜けて、さらに真っ暗な脱衣場を、携帯のライトだけで進んでいく。お化けでも出そうな雰囲気だが、今の俺たちにはそんなこと気にしてる余裕はない。

  「風呂場って鍵かけてるもんだと思ってたっす。なんで開けてるんすか?」

  「多分寮監が寮生同士のセックスを黙認してるせいだと思う。体洗えないとか普通に不便じゃん?」

  「そんな理由かよ…………」

  この学園の寮生たちの性への貪欲さは嫌というほど見てきたが、寮監も黙認するほどだったとはな。まぁ止めようにもどうしようもないし、せめて清潔でいてくれよ、ってことなのかもしれない。

  風呂場のガラス扉を開けて、月明かりが差し込む浴場に入っていく。いつもは電気が点いてるところしか見てないから、真っ暗な光景は新鮮で違和感を覚える。

  こーすけは迷いなく一番端の窓まで歩み寄った。

  「風呂場の窓は立地的に窓の外に格子をつけられなかったみたい。その代わりに、網戸がねじで止めてあって開かないようになってるんだけど…………」

  その窓の網戸はキキキッと軋みながらゆっくりと開いた。春の夜風が吹き抜けている。

  「去年先輩がこっそりネジを外しといたんだって。まだ寮監にもバレてないよ」

  「へぇーーなんかいいっすね!悪いことしてる感あって!」

  「…………………………………………………………」

  してる感じゃなくて立派に寮則違反なんだけど。しかも誰かに出ているところを見られたら、すぐに学校に連絡がいって最悪退寮措置だ。細心の注意を払わなければならない。

  まずはこーすけがゆっくりと窓枠を乗り越えて外へ出る。金策の部分は所々錆びていたけど、特に問題はなさそうだ。ただ出た先のスペースがかなり狭く、俺と篠崎は相当キツいと思うけど。

  「全員の靴こっち投げて…………って意外と寒。パーカー持ってくればよかった」

  「……いいから早く退けよ。後がつかえる」

  「はーい。怪我しないようにね」

  なんとか俺と篠崎も通り抜けて、寮の裏手の路地に出れた。すぐ後ろが住宅街で、あまり大きな声を出したら気づかれてしまうだろう。話すのは目的に到着してからだ。

  そのまま三人で、夜の町を徘徊した。目的地は人が少なく、目撃されにくい場所。上柴の提案で、近隣の稲光神社へ行くことになった。あそこは少し小高い丘の上にある寂しい神社で、周りをぐるりと囲むように背の高い木々が植えられているから、外から見られることはそうそうない。ストーカーが来てくれるかは別にしても、一番良くないのは俺たちが見つかってしまうことだから。

  道中では一言も喋らずに、列になって早足で歩いた。篠崎は時折話そうとしていたけど、俺が拳を入れるうちに理解したようで、大人しく着いてきた。きっと能天気な本人は夜の冒険くらいにしか考えてないだろうけど、もし誰かに深夜徘徊が見られれば、俺にとっては死活問題だ。用心はするに越したことはない。

  稲光神社の周り近辺にはそんなに家は多くない。階段を上り始めたくらいで、俺たちはようやく口を開いた。

  「ふぅ………………ここまで来たのはいいっすけど、ホントにストーカー来るんすかね?」

  「俺だったら行くよ。ストーカーしてる相手が突然深夜に神社に行ったんだよ?確認くらいはしに行くと思うな」

  「相当用意周到な奴だし、ストーカーがバレるのをかなり恐れてるはずだ。影で潜んで待ち伏せした方がいいな」

  稲光神社の階段は緩やかでそこそこ長いが、静かな夜に石畳の音がコツコツと響く。もし誰かが登ってきたら音で分かるだろうし、一方通行だから逃げようがない。待ち伏せには案外最適な場所なのかもしれない。

  俺たちは数分で階段を登りきると、寂れた鳥居の陰に座り込んだ。神様がいたとしたら怒られても仕方ないかもしれないけど、これで救われる人がいるんだから勘弁してほしい。

  少し大きめな石の上に腰かけて、ようやく一息つく。距離的には大したことないが、緊張のせいかやたら疲れた気がする。

  「なんかお化け出そうな感じっすねここの神社。掃除もされてないし」

  「幽霊がいるのは寺でしょ?神社は大丈夫だった気がする」

  「…………出たとこでストーカーを捕まえるまでは帰らねぇぞ」

  「わかってますよ。でも渡嘉敷センパイとの夜デートは、もっとロマンチックなとこ行きたかったなーって思っただけっすよ」

  こんなときでもどさくさに紛れた手を握ろうとしてくるバカ狼に呆れつつも、周囲の音によく集中する。階段を登ってきている音はまだしない。

  こーすけは携帯をいじっていて、暗闇の中で顔だけがよく照らされている。どっちかっていうとこっちの方がお化けみたいだ。

  「利根川センパイは何やってんすか?」

  「昼間撮った写真見てるの。顔までは撮れてないけど、後ろ姿は分かるからさ」

  「あーなるほど。俺も見ていいっすか?」

  「ん」

  篠崎とこーすけが写真を見てる間に、少し目を閉じて考えてみる。もしここでストークが来なかったとしたら、次に打つべき手はなんだろうか。

  発信器を俺たちが見つけたことを、ストーカーが気づいていたとしたら。これを使っておびき寄せる手は使えなくなる。だとすると、いよいよ自力で探すしかなくなるが、ストーカーも警戒するだろう。しばらくは尻尾を出さなくなるかもしれない。そうなればますます捕まえるのは難しい。

  また再び、上柴に発信器やら色々仕掛けるようなことだってあり得る。さっきこーすけが言ってたけど、あの小型の発信器だって買ったら相当の値段がするハズだ。それくらい相手は本気ってことだし、上柴への歪んだ愛情を感じる。野放しにしておくわけにはいかないだろう。

  どうにか、来てくれることを願うばかりだ。そして絶対に逃がさないこと。一度逃がしてしまった失敗から、俺は執念のようなものを感じていた。

  上柴に手を出したら許さない。大事な後輩だ。

  「…………んーなんかこの人見たことある気がするんすよねぇ」

  「上柴くんの関係者でしょ?本人は覚えてないと思うけど」

  「俺も思い出せないっす…………でもどっかで見たのは確かなんすよね。あーーモヤモヤする」

  「…………実際顔見たら思い出すかもな。ストーカーが素直に名乗り出すとは思えねぇし」

  捕まえたところで尋問も上手いことやらないと。その辺はこーすけが得意そうだけど、任せっきりもよくない。

  「今何時すか?」

  「10時…………42分。来るとしたらそろそろかな」

  さっきから篠崎はそわそわして落ち着きがなかった。あまり暗いところは得意じゃないのかもしれない。もしくはストーカー相手に緊張してるのか。

  かくいう俺も尻尾をぐるりと巻いて、心を落ち着かせているところだったけど。

  対照的にこーすけはひどく冷静だ。肝が据わっているというか、この辺も猫獣人らしい。

  暗くて少し肌寒い、夜の神社に佇む俺たち。静寂の中でわずかに聞こえる町の音は、いつもよりずっと遠かった。こんな静かな場所は、都会の真ん中ではそうそう見つからない。そういえば島にいた頃は、たまに夜の海を眺めながら、桟橋でカイと色んな話をしたな。まさかカイも俺が都会でストーカーを捕まえようとしてるなんて思わないだろう。土産話にはちょうどいいかもしれない。

  そのときだった。

  コツコツ、と遠くから音が聞こえてきた。明らかに硬い石畳を踏みしめる足音。こんな神社にこんな時間に現れるような奴は一人しかいない。

  こーすけと篠崎に目線で合図する。二人ともすぐに汲み取って開いていた口をつぐんだ。隣で篠崎が唾を飲んだ音が聞こえる。それくらい俺はひたすら聴覚に全神経を集中させていた。

  少しずつ、より確実に足音は近づいている。所々立ち止まってるようで、でも登ってきている。始めは微かだった音がどんどん不信感を連れて、歩いてくる。こーすけの耳がピクピクと動いているのが見えた。

  そいつはもう階段の中腹まで来ていた。覗いて確認するわけにはいかない。逃がさないように、ギリギリまで惹き付けて…………一瞬で終わらせる。篠崎が小さく深呼吸した。

  足音はもうすぐそばだ。あと数段で姿が見えてしまうだろう。でもまだ…………まだだ。もっと近づいて、より確実に捕まえる。その意思は既に俺たちの中で確実に共有されていた。

  ―――――――足音が止まる。

  その瞬間、篠崎と俺が影に向かって全速力でタックルした。練習もしていないが、ピタリと呼吸の合った動きで、その影を地面に押し倒した。

  そしてすかさずこーすけが、押さえつけた両腕を玩具の手錠で拘束した。玩具とはいえ相当な力でもないと壊すことはできない。しっかりと捕まるのを確認するまで、俺たちは一瞬たりとも力を緩めず、全力で地面に押さえ続けた。

  ようやく動くのをやめた影は、呻き声を上げながら且つ地面に倒れて咳き込んでいる。篠崎が、その体を掴んで無理やり鳥居を背に起き上がらせる。そこにこーすけが携帯のライトで、眩いほどの強い光をぶつけた。

  そこに座っていたのは、昼間俺が逃がしたストーカー…………リカオンの獣人がいた。

  「っえ、ぉ…………ッ、離せ……!離せよ……ッ!!」

  眩しいライトに目を細めながら、篠崎にがっしりと掴まれた腕を体をよじって逃れようとする。幸い力はあまり強くないようで、少しして圧倒的な力の差に諦めたのか、だらりと項垂れて抵抗をやめた。

  真っ黒な服を着ていたせいで、光を当てるまでは何の獣人かも分からなかった。どう考えても不審者だし、昼間見た顔もこいつだ。ストーカーで間違いはないだろう。

  篠崎は、下を向いた顔を頭ごと掴んで上を向かせた。こーすけが、パシャリと写真を撮る音が聞こえた。

  「……………………ッくそ、なんだよお前ら…………!!上柴をどこにやった!!」

  「………………あ?上柴は寮だよ変態野郎。お前がストーカーで間違いないな」

  「ストーカーッ!?ふざけんな!俺はボディーガードだ!!」

  「はいはい言い分は後で聞くから。とりあえず携帯よこしな」

  こーすけはストーカーのポケットを漁ると、携帯を引っ張り出して調べ始めた。確かに証拠をしっかりと押さえておくのは大事だ。

  するとそのとき、篠崎があっ、と声を上げる。何かに気がついた様子だ。

  「誰かと思ったらお前籠谷じゃん!!!クラスじゃクールなくせに性格ヤバイんだなー」

  「っ、うるせぇ!!!」

  「…………篠崎、誰だ?」

  篠崎はストーカーの頭を離して笑いながら答えた。

  「うちのクラスメイトっすよ。話しかけても素っ気ないしずっとスマホ見てるんで、上柴も印象薄かったんでしょーね」

  「………………ずっとスマホ見てるのってもしかしてこれのせい?」

  こーすけは携帯をひっくり返してこっちに見せる。そこには何百枚という数の上柴の写真が入っていて、なかには授業中に撮ったらしいものもあった。今日の下校中だって写真を撮っていたし、これはどう頑張っても言い逃れできないだろう。

  「ぉ、俺の携帯のロック……!!どうやって…………」

  「上柴くんの生年月日入れたら開いたよ。単純でかわいいねー」

  意地悪な笑みを浮かべるこーすけに、流石に今回は頼もしいなと思った。これで確たる証拠は掴んだわけだし、あとは話をしてストーカーをやめさせるだけだ。

  「うわぁ…………盗撮魔ストーカーかよ。これは上柴には見せらんねぇなぁ」

  「篠崎、茶化すのはそんぐらいにして…………真面目な話だ。お前二度と上柴に近づくなよ」

  俺がキツく睨み付けると、少し怯んだ様子で俯くストーカー。悪いことをしてる自覚は多少なりともあるらしい。それならまだマシだ。

  「ぉ、俺は…………上柴が変な奴に手を出されないように守っていただけで…………」

  「そのお前が変な奴だろ?だったら近づくんじゃねぇ」

  「っ、俺はそこのクソヤリチン野郎みたいに、誰彼構わず手ぇ出したりしねぇ!!!」

  そう吐き捨てるように言うと、ストーカーは強く篠崎のことを睨み付けて苦々しい顔をする。どうやら並々ならぬ嫌悪感を抱いてるらしいけど、当の篠崎はえ?と驚いている。

  「いや…………別に俺も誰彼構わずヤったりはしないけど」

  「篠崎くんは経験は豊富だけど、今は哲也に一途だと思うよ?」

  「うるせぇッ!!お前が上柴と同室だなんて未だに信じらんねぇ!!!上柴に触れたらぶっ殺すからな!!!」

  牙を剥き出しにして思い切り唸るストーカー。どの立場でものを言ってるんだか。でも話を聞く価値はありそうだ、もしかすると彼なりの事情や誤解があったのかもしれないし。

  隣でこーすけが深くため息をつく。

  「過激派だねぇ………でも要は嫉妬でしょ?わりと寮生って同室同クラスにされがちだからねー」

  「お前上柴のこと好きなんだろ?別に俺はタイプじゃないから手ぇ出さねぇって。みみっちいことしてないでコクれよ」

  「ケッ、それができたら苦労しねぇよ」

  どうしても篠崎のことは嫌いなようで、相変わらず牙をちらつかせてくるけど、少しは落ち着いた様子だった。一旦二人には静かにしてもらって、俺が話をつけてみることにする。

  「なぁおい、俺たちは上柴に頼まれてお前を捕まえに来たんだよ。ストーカーがいて怖いから助けてくれって」

  「ッ、上柴に気づかれてたのか!?くそ…………俺としたことが………………!」

  「そうだよ。お前の存在が上柴を怖がらせてたんだ。特に発信器を見つけたときは震えてた」

  「……………………っ…………………………………………」

  俺が落ち着いた、諭すような口調で話をすれば、だんだんとストーカーも気分が落ち着いてきたらしい。逆立っていた毛並みも寝てきて、剥き出しだった牙をしまいかけている。そうだ、落ち着いて話ができれば説得だってできるはずだ。

  こーすけと篠崎は黙って見ている。

  「お前上柴のこと大好きなんだろ?じゃあ影から見てるだけじゃなくて、直接想いを伝えろよ。そっちの方が、上柴のためになるんじゃねぇか?」

  「………………………………………………………………」

  「それにまだ100%フラれるって決まったわけじゃないんだし。上柴がお前を好きになる可能性だってあるかもしれないだろ?」

  「えっ、哲也がそれ言う?」

  急に横から口を挟まれて、思わず説得を止める。

  「………………どういう意味だよ?」

  「あ、いや…………なんでもない。気づいてないならいいよ」

  こーすけは深くため息をついて、再び携帯をいじり始めた。もしかしてまた俺だけ気がついてない何かがあるんだろうか…………いや、今はそれよりストーカーのことの方が重要だ。

  視線を戻すと、ストーカーは俯いたままじっとしている。これで考えを改めてくれるた嬉しいんだけど。

  「…………………………………………………………ぇよ」

  「……………………ん?」

  「…………………………………………………………ねぇよ」

  「…………………………あ…………?」

  するとストーカーは再び思いっきり牙を剥き出して威嚇の雄叫びを上げた。

  「上柴が俺に振り向くなんて100%ねぇよッ!!!バカにすんな!!俺が上柴のこと何も知らないとでも思ってんのか!?上柴の好きな俳優は日野雄大、優しくて包容力のある"歳上"の雄が好きなんだよっ!!!俺なんか全然タイプじゃないだろうしそもそもブサイクだ!!しかも上柴の家はあの超有名な女優と自動車の会社の社長だぞ!!?俺なんかが告白するのもおこがましいくらいの高嶺の花なんだよ!!上柴からしたら俺みたいなモブなんて眼中にねぇだろうし告白されたって迷惑なだけだッ!!!上柴はこの世の全ての雄を選ぶ権利があるっ!!そのなかで俺のことなんて100%選ばねぇのは分かりきってんだよ!!!!」

  「…………ぁ、あぁ…………とりあえず落ち着けよ」

  急な逆ギレに威圧されてしまい、俺はそれしか言えなかった。あまりの剣幕に驚いたが、このストーカーはいい意味でも悪い意味でも、非常に残酷な現実を見てることは分かった。フォローをするべきなのか、諦めろと促すべきなのか。俺はチラリとこーすけを見たけど目を逸らされてしまった。

  「…………えっ、上柴の母親ってもしかして上柴香織?」

  「そうだよ!!日本を代表する大女優の一人息子だぞ!!?俺ごときが話しかけるのもおこがましいくらいの…………尊い………………天使だ……………………」

  そしてまた急に穏やかな顔になったかと思えば、上柴のことを思い出して想いを馳せているようだ。ここまでくると一種の宗教のように見えるけど………それくらい恋は人をおかしくするんだろうか。

  しかし、上柴香織はあまりテレビを見ない俺でも知ってるほど有名な人だ。名前も同じだしそうかなと何となく思ってたけど、本人に聞いたことはなかった。

  でも、とこーすけがため息混じりに口を挟む。

  「だからって告白くらいはすればいいじゃん。俺だったらそんな高嶺の花をストーカーする方が恐ろしいけど」

  「…………そうだよ。それはお前の気持ちの問題だろ?ストーカーしていい理由にはならねぇ」

  「……………………ぐっ……………………………………」

  言葉に詰まって悔しそうな顔をするストーカー。きっと自分でも悪いことをしてる自覚はあったのだろう。ただ何かと理由をつけて正当化しようとしていたに違いない。

  そしてようやく落ち着いたのか、再び俯き気味にぐったりと体の力を抜いていた。

  「で、どうします?犯人も分かって証拠もありますし…………警察すか?」

  「ダメ。俺らが夜間外出したのバレるし」

  「………………そこでだ。お前に提案がある」

  ストーカーを見下ろしながら、静かな口調で話す。ピクリと耳が動いたのが見えて、話はちゃんと聞いてくれそうだ。

  実は少し前からずっと考えていた。どうやったら止めさせられるのか。

  「今後一切上柴に近づくな。盗撮も、発信器も、ストーカーも禁止だ。その代わり、俺らはお前のことを上柴に黙っててやる」

  「?でも哲也それだと上柴くんが…………」

  「ストーカーがいなくなれば問題解決だろ?上柴も分かってくれるはずだ」

  この提案は、ストーカーにとっても悪くない話だ。正体がバレた今、上柴に知られたらこいつの恋は本当に100%実らなくなるだろう。それどころか、これから三年間上柴に嫌われ続けて学園生活を送ることになる。それはこいつにとってかなりキツいだろう。

  もちろん上柴は誰がストーカーだったのか気になるだろうけど…………そこは納得してもらうしかない。

  「……………………ホントに言わないんだろうな」

  「あぁ。約束する。でももしお前がまたストーカー行為を始めたら……」

  「…………篠崎も、言わないよな……………」

  「まぁいいぜ。そんなことしても俺には何の得もねぇし」

  「…………………………………………………………」

  ストーカーは諦めたかのように首を落として、じっと静かに考えている。まぁ本人のなかでも葛藤はあるだろうけど、これ以上ないくらいの提案だと思う。

  夜の神社に冷たい夜風が吹き抜ける。カサカサと木の葉を揺らして、俺たちの沈黙の間を埋めるかのように。

  「…………………………………………わかっ―――――」

  「あ、それと。このGPS発信器もらっていい?」

  「っ、それめちゃくちゃ高―――――」

  「上柴くーん、犯人はクラスメイトのリカオンだったよーー!」

  「…………ッ、この……っ………………外道め」

  それは俺も同感だ。悪魔のような笑みを浮かべるこーすけに、思わず呆れ返る。発信器がこーすけに行き渡ったらそれはそれで危険だと思うけどな。

  俺はしゃがみこんで、肩を落とすストーカーの頭を優しく叩く。ちょっと可哀想になったのは言うまでもない。

  「…………なぁ。これは俺の話だけど、後ろの二人は俺のことが好きなんだよ」

  「……………………っ、何の話だよ」

  「俺は同じ日に二人から告白されて、どっちも断った。今ももちろん付き合う気はねぇし、今後もそう気持ちは変わらねぇだろう」

  「………………………………………………………………」

  「でもな、二人ともしつこく毎日のようにアタックしてくる。何度拒絶しても、ホントにしつこく」

  「…………………………………………迷惑じゃねぇか」

  「初めは俺もそう思ってたよ。でも意外とそうでもなかった。俺が二人と付き合うことはないし、恋愛の意味では好きにもならないだろうけど……………こんだけ一途にアタックされるとさ、悪い気はしないもんなんだよ」

  これを二人に言うのは初めてだ。後ろでどんな顔をしてるかは知らないけど、これは俺の本心だ。雄から言い寄られて気持ち悪い……って最初は思ってた。でも時間が経つにつれて、そんなに嫌でもなくなっていたんだ。

  リカオンの三角の耳の裏を、指で掻く。ストーカーは無意識か耳を寝かせていた。

  「…………その結果俺たちは一緒に行動してる。今こうして、友人になってる。必ず実るとは言えねぇけど…………まずは告白してみねぇと何も始まらないだろ?お前なりにアタックし続けたらどうなんだ?」

  「……………………っ………………………………………………」

  「それと、」

  俯いているストーカーの顎に手を添えて、ゆっくりと上に持ち上げる。夜闇の中、じっと黒い瞳と見つめ合った。吸い込まれそうな、綺麗な黒だと思った。

  「…………お前自分で言うほどブサイクじゃないぞ」

  「――――――っ、ぅ、うるせぇ…………!!」

  プイッと顔を背けるストーカーから手を離して、その場に立ち上がる。もう説得は十分だろう。提案も飲んだことだし、ひとまず今日のところは無事に解決できたんじゃないだろうか。

  振り返ってこーすけの方を見ると、じとっとした目で見られていた。あの顔は呆れている顔だ。

  篠崎の方を向くと、なにやら不満げだった。

  「………………いーなー俺もセンパイに顎クイされたい」

  「………………ほんと天然たらしってタチ悪い」

  「………………?何怒ってんだよ」

  何で二人が怒ってんのかは知らないけど、ストーカーも大人しく俯いてるし、もう拘束は解いてもいいだろう。こーすけに言って、手錠の鍵を外してもらった。

  ストーカーは立ち上がって、こーすけから携帯を受け取り、黙って神社の階段を降りていった。その後ろ姿はどこか寂しげだったが、これから彼がどうするのかは分からない。まぁ上柴にとってプラスな形で終わればいいと思った。

  「…………もうこんな時間だよ。上柴くんも心配してるしさっさと帰ろ」

  「いやーなんか思ってたよりすんなりいって良かったっすね。もっと警察沙汰になると思ってました」

  「…………また再犯するとも限らねぇけどな。しばらくは注意するように上柴に言うべきかもしんねぇ」

  帰り道。夜の散歩は行きよりも楽しめた。夜風が披毛をくすぐるのが心地よく、ホントはもう少しのんびりしたかったかもしれない。

  「……………………そういやさ、ストーカー君の写真フォルダ詳しく見てたんだけど………上柴君の部屋の写真もあったよ」

  「え!?まじすかどうやって?」

  「窓の外から撮ってたみたい。二階だしどっかの塀か何かに登って盗撮してたのかな」

  「すげぇ執念だな………」

  もしかして、夜中に寮の前を徘徊している稲光学園の生徒って…………あいつのことだったんだろうか。

  「上柴くんの生着替えの写真もあったよ。消しといたけど」

  「ハハッ、センパイナイスっすね!!」

  「お前らも俺の着替えの写真撮ってねぇだろうな」

  「「………………………………………………」」

  「黙んなっ!!!」

  ホントなんでこんな変態どもつきあってるんだと自分でも思う。でもまぁ、それを笑い飛ばせるくらいに俺は、寛容になったのかもしれない。