ケモホモ男子寮(公認)に放り込まれた俺の受難な高校生活 1

  コンコンコン、と三回ノック音がしたかと思えば、こっちが了承の返事をする前に勝手に扉が開いて、開いた直後、少しのドアとの隙間に、狼獣人のマズルが飛び込んできたのが目に見えた。

  そしてそのまま勢い良く扉を開け放って、ずかずかと人の部屋に足を踏み入れたかと思えば、閉めるのもおざなりに。

  そして、

  「センパイちわーーっす!」

  先輩、ということに対しての敬意をここまで微塵も示さないのはかえってスゴいことのように思えるほど、適当な挨拶だった。

  クリーム色の毛をペタりと寝かせて、尻尾を大げさに振りながら、いかにも今さっき起きました、という顔で大きく欠伸をしている。

  「…………何しにきたんだよ」

  「いやー!さっきまでセンパイに種付けガン堀りレイプされてる夢見てたんで、起きたらセンパイの顔みたくなっちゃって!!」

  「………いやもう…………帰れよ!!」

  あっけらかんと無茶苦茶なことを言ってくる後輩に、思わずため息が出る。何がそんなに嬉しいのか、休日の真っ昼間からド下ネタ言いに来ただけだったらさっさと部屋帰れと言いたい。

  そして紛れもなくギンッギンになっているソレをパンツ越しにぶらぶらさせながら、俺のベッドにふてぶてしく居座る。

  「昼寝してるくらいには暇なんすよー!宿題もやる気起きないし、何よりあんな正夢見ちゃうとねぇ!」

  「勝手に正夢にすんな。パン一で人のベッドに寝んな!枕に擦り付けんな!!!!」

  あわてて後輩の腕を引っ張って、ベッドから立ち上がらせる。先輩のベッドで何をしようとしてんだコイツは。

  「……あ、そういや利根川先輩は?」

  人の怒りを何のその、何事もなかったかのように普通の質問をされて、なんだか拍子抜けする。

  「こーすけは出掛けてる。なんか、ロープ買いに行くんだと」

  「ロープ??何に使うんすか?」

  「知らねぇよ。脱獄でもするんじゃねぇの」

  脱獄と、表現するくらいに相応しいほどの、窓の外側にはめられた鉄格子を見やる。夜中に間違っても男子寮生が窓から抜け出して青春を過ごせないように、 絶対に玄関以外からは出入りできないような構造になっていた。その玄関も夜にはしっかりと施錠されているし、監獄のように感じるのは無理もなかった。

  「ふーーーん………………」

  「………………………おい、」

  「へーー………………………」

  「……当たってんぞ…………」

  「センパイのケツ、むっちりしててイイっすね」

  「人のケツで、っ、えっちなことすんな!!!」

  後輩に怒号を浴びせると共に、無理やり体を突き飛ばして、部屋から追い出す。人の部屋に勝手に訪ねてきて、頭の中はそういうこと一色かよ、変態野郎め。

  扉のカギを閉めて、もう勝手に入ってこれないように完全に閉め出す。人が宿題片付けてるときに、こうして邪魔が入ると一気にやる気を削がれる。元々俺は勉強が得意じゃないから、余計に時間かかるってのに。

  「……………………はぁ……………………」

  備え付けの勉強机に突っ伏して、目の前のプリントを睨む。

  この学園に来てから一週間、すでに百回は越えたであろうため息をついていた。

  俺の名前は渡嘉敷哲也。読み方はとかしきてつや、だ。よく読み方が分からないと聞かれることが多くて、このややこしい名字にイラつくことがある。

  珍しい名字と同様に、俺はウルフドッグという珍しい種族の獣人だ。父親が狼、母親が犬だったらしく、いわゆるハーフのような種族の雄の獣人。これもまた、誰かに説明するのが面倒な自己紹介だった。

  歳は十六歳で、今年度から高校二年にあたる。ただ歳のわりに背が高くて老け顔だから、大学生と言ってもバレないくらいだと思ってる。

  そして今年度から、俺は私立稲光学園に転入することになったのだった。

  元々俺は超がつくほどの田舎の島の出身で、都会の人には名前も知られていないだろう小さな島で育った。豊かな自然と極端に少ない人口のなかでのびのびと育った俺は、高校一年までその島で唯一の高校に通っていたのだが、あまりの人の少なさに昨年度いっぱいで学校が閉鎖されることが決まって、転校せざるをえなくなってしまったのだ。

  前いた高校でのクラスメイトは二人で、一人は都会の学校に一家で引っ越して行ってしまった。もう一人のクラスメイト、俺の幼なじみのカイは、漁師の父親を継ぐことになって、島に残って働いている。つまり俺一人で、都会の右も左もわかんないまま、寮のある私立の学校に転入することになってしまったのだが。

  そこまではまだ良かった。だが後悔することに、俺は稲光学園のパンフレットをちゃんと読んでいなかった。唯一の肉親であるじぃちゃんと、学校の先生が転校の手続きをパパっと済ませてしまい、どんな学校かと前情報もほとんど知らないまま、稲光学園に転入することになったのだ。

  稲光学園は俺が想像もしてなかった方向に、特殊な学園だった。

  まず稲光学園の最大の特徴は、LGBTの生徒が大半を占めているということ。現代社会において、同性婚だって認められるようになった時代、セクシャルマイノリティを抱え、それを個性だと表現する若い世代が増えてきたために、そういった子供たち用の学園が作られたのだ。まだ創設十年くらいの学校だが、異例の学校方針が話題となり、全国から受験者がくるような、評価の高い学校だった。いわゆる同性愛者や両性愛者がのびのびと生活できる学校として、ニュースにもなっていた気がする。

  大変けっこう、いい学校だ。ただ問題は、恐らくじぃちゃんはあまり深く考えないで、適当に俺を稲光学園に放り込んだのだ。普通にノーマルに、女の子が好きな俺を。

  その話を寮のルームメイトから聞かされたときは、とてつもないショックを受けた。もちろん何も知らずに転校してきた俺が悪いのだが、転校した先で甘酸っぱい恋と青春がしたいと少なからず期待していた俺には、かなり衝撃的な内容だった。ルームメイトのこーすけが言うには、この学園では異性愛者の方が圧倒的に稀で、それも何かしら事情を抱えている人、らしい。俺のように、間違って転校してきてしまった、という事情を抱えているみたいに。

  当然男子寮の寮生たちはみんなゲイらしく、中で付き合ってる人たちも少なくないそうだ。そしてその人たちも、みんな俺のことをゲイだと思っているに違いない。

  まぁ長々と説明したが、要は同性愛者の学校の、ホモだらけの男子寮に、唯一のノンケである俺が、間違って入ることになってしまったのだった。

  不意にドアノブが、ガチャガチャと揺れた。そういえばさっき後輩を追い出したあと、カギをかけたままにしていた。後輩、といっても入寮したのはおんなじ日で、学年が違うから先輩と呼ばれているだけなんだけど。

  立ち上がってカギを開けると、ゆっくりと扉が開いて、同級生にしては小柄な体の猫獣人が立っていた。

  「………………………………」

  「………………おかえり」

  なんとも言えない間があって、それを埋めるように呟く。勝手にカギをかけたのは悪かった。まぁすぐ開けたし怒ってないと思うけど。

  「……え?なんか言った?」

  こーすけはおもむろにイヤホンを外して、俺の顔を覗き込む。三毛模様の毛皮が、何だかふてぶてしい。

  

  「…………………いや、何でもない」

  「あっそ。ただいまー」

  こーすけはスルリと俺の隣を通って、自分側の机の上にドサドサと荷物を置いていく。どっかの店のビニール袋も何個かあるし、かなり多めの買い物に行ってきたようだ。

  「どこ行ってたんだ?」

  「中央駅のデパートで買い物してた。あとコストコ」

  手際よくあちこちの戸棚や引き出しに、買ってきたものを詰めていく。洗剤……ティッシュ……ロープ?ホントに買ってきたのかよ。一体何に使うんだろうか。

  そして、その中でも最も大きなビニール袋を引っ張り出すと、勉強机の上の戸棚を開ける。

  そこに並べられているのは、ありとあらゆる種類のカップ麺。スーパー並みに品揃えも良いし、各種類十個前後はストックしてある。棚の中に仕切りみたいなのをつけて、一目で何かわかるように縦に並んでる。初めて見たときはお店みたいですげぇ、と思ったのと、こんなに頻繁に食ってたら体に悪いだろうなって少し心配になった。

  こーすけは自分が食べた分だけ、週末にスーパーに行って買い足してくるらしい。常にいっぱいの状態が好きらしく、もうここまできたら愛好家というよりコレクターだった。

  まぁでも災害かなんか起こった時には大いに役立ちそうだ。こーすけが分けてくれるかは別として。

  「……っ、届かないや。哲也、これ一番上の右から三列目ね」

  ハイ、と俺に手渡されるカップ焼きそば明太クリーム味。正直どこに売ってんのか見当もつかない。

  「……お前せめてお願いしますとか言えないのかよ」

  「これ入れてくれたらフェラで一発抜いてあげるからお願いします」

  「おまっ、やめろそういうこと言うの!!」

  こーすけはニヤニヤと意地悪く微笑んでいる。こーすけは俺がノンケだということ、性知識に不馴れなことを分かっていて、こういうちょっかいをかけてくる。

  雄に言われたこととはいえ、直接的なえっちな言葉に少し顔が熱くなるのを感じながら、背伸びしてカップ麺を指定の場所にねじ込む。元々ぎゅうぎゅうだから、なんらかの拍子に雪崩のように落ちてきそうで不安だった。

  「そういやとんこつが一個無くなってたんだけど、勝手に食べた?」

  「いや、昨日だか三下先輩が持ってった。こーすけが風呂いってるとき」

  「あいつホント手癖悪いね。次盗ろうとしたら全部の指の骨折ってやる」

  「…………怖いこと言うなよ。先輩だぞ」

  少し不機嫌になったこーすけは、一通り買い物袋を処理すると、椅子に座る俺の肩に肘をついて寄りかかる。大して重くないし、ちょうど首がこってるとこだったから、気持ち良くてそっと目を閉じる。

  「何してんの?勉強?」

  「宿題…………数学の先生が増やしただろ……」

  「いやでも因数分解でしょ?一年の内容じゃん。俺授業中に終わらせたけど」

  「……いんすうぶんかい?って何だっけな」

  極端に数学が苦手な俺は、中学の頃からテストは赤点間際ギリギリをずっと取り続けていた。高校に入ってから物理とか化学とか理系の科目も増えたし、そのことを考えるだけで頭が痛くなる。特に高校の数学なんて現代社会のどこで使うんだよ。

  「哲也はホント数学苦手だね……」

  そう言いながら、こーすけは俺の肩を揉み始めた。慣れない環境での新生活にきっと体は疲れていたんだろう。こーすけのマッサージは心地よくて、段々とこりが解れていくのを感じる。

  「…………あぁ…………数学…………めんどくせぇな」

  「そうだね…………めんどくさいね」

  「…………ぅん…………………………………」

  こーすけの口調はいつになく優しくて、労ってくれてるのかとちょっとだけ嬉しくなる。

  こーすけが俺の肩を揉む手つきは、所々強く、緩慢としていて眠気を誘うものだった。網戸越しに漂ってくる春の匂いが、俺の心を穏やかに解きほぐす。今日はいい天気だし、太陽は暖かい。昼下がりの休日、静かな部屋の中で、俺はとても癒されているのを実感する。

  「…………気持ちいい?」

  「…………あーうん………………寝そう………………」

  こーすけは俺の肩を揉む手を片方止めると、右手で優しく俺の鎖骨をなぞった。とても弱い力だったために、大して気にならなかった。それよりも、未だ左手で揉まれている肩が気持ち良くて、無意識に喉を鳴らす。

  こーすけの右手は何度か俺の鎖骨を往復したあと、そっとTシャツの襟から中へ侵入していく。相変わらず優しく緩やかな手つきで、胸板を数度撫で上げる。そしてさらに奥へ奥へと侵入する右手は、俺の腹筋に小指が触れたところで一度休止した。そして通ってきた道を戻るように、数本の指で毛並みを逆撫でしながら、今度は俺の左胸へと指を這わせる。左胸には言わずもがな、周りからは頭一つ飛び出た、春先の土筆のような突起がひょこりと生えている。まずは土筆を追い詰めるかの如く、草原の上を嫐るような手つきで円を描いて見せる。何周か、はたまた何十周かに感じられる程、土筆を囲み込んだ挙げ句、それを唐突に人差し指の腹で、ピンっと弾いて胞子を飛ばす。そのむず痒く断片的な愛撫を享受した身体は、口の端しから思わず甘い吐息を漏らした。

  ……と同時に、俺はこーすけの腕をがっしりと掴んでシャツから引き抜き思い切り体を押し退け、接触できない距離まで瞬時に離れる。

  「ってお前今えっちな雰囲気に持ってこうとしただろ!!!!!」

  危なかった、こーすけに乳首を触られてしまった。

  扉まで押し飛ばされたこーすけは不満そうな顔で俺を見て、口を三角に尖らせている。猫獣人ってもともと三角だけど。

  「いい感じだったのに……」

  「何も良くねぇよ!!何だよあれ途中から官能小説みたいになってたじゃねぇか!!!」

  「哲也が『…………っ、ふ…………ぁ』って言ったとこ録音しとけば良かった」

  「言ってねぇ!!!」

  つくづくこーすけは、俺をえっちな雰囲気に持っていって困らせるのが好きらしい。俺がそういうのに慣れていないのをバカにして、からかっているんだ。今後は向こうから触ってきた時点で要注意かもしれない。こう何度も何度も乗らされるのは癪だった。

  気持ち悪い、触るな。雄が雄となんて。

  そんなありきたりな暴言や偏見は、この学校では通用しないのだから。

  こーすけに数学の問題を教えてもらいながら、午後はのんびりと過ぎていった。今日は休日だから、寮の人たちもあらかた遊びに行っているらしく、寮内はとても静かだった。普段はたまに廊下から喋り声がしたり、走り回ってる足音が聞こえてくるんだけど、俺は耳がいいせいでその度にちょっとビックリする。田舎育ちな分、静かな環境の方が落ち着いていられるから、この時間はどこか気持ちが楽だった。

  六時に近づくにつれて、出掛けていた寮生たちがまばらに帰ってくるようになる。六時には夕飯と点呼があるから、それまでには寮に帰ってこなければならない。門限が六時というのは、高校生たちにとってあまり面白くないらしく、みんな口々に文句を言っている様を見かけた。俺は正直買い物以外に出かけるとこがないから、六時でもなんでもいいんだけど。

  六時から九時までの間に、食堂に夕飯が置いてあって、給食みたいな感じで自分でよそって食べる。その毎日の準備と片付けをするのが一年生で、入寮して早々から面倒な寮の仕事を押し付けられている。

  六時五分前になると、寮内にチャイムの用な短い音が流れて、そろそろ帰ってきてないとヤバイぞと警告してくれる。今日もそれが聞こえて、寮生たちは、一階にある食堂までめんどくさそうに階段を降りていく。

  「……点呼なんか無ければいいのにね」

  ふわぁ、と欠伸をするこーすけと並んで、三階から狭い螺旋階段を歩く。一段一段がやたらと高くて、上るのにも下るのにも不親切な設計だ。

  別に点呼が無ければと不満に思ったことはこの一週間なかった。少し疑問を持つ。

  「なんで?」

  「めんどくさいじゃん……昼寝してても六時には起きなきゃいけないし」

  「ほんとっすよねぇ!!添い寝してたのに起こされちゃいましたよ!!!」

  急な声に振り返ると、後輩の変態狼……こと、篠崎翔一年生が、不満そうに尻尾をブンブン振り回していた。顔の毛もボサボサで、今起きましたっていう表情。数時間前に俺んとこ来たときも寝起きだったのに、また寝てたのかよこいつ。

  それにさっきまで寝てたということは、夕飯の準備サボったんだろうな。

  「篠崎くん、今日は誰んとこ行ってたの?」

  淡々と階段を下りるこーすけが、後ろも見ずに篠崎に話しかける。

  「三年の相田センパイっす。相田センパイ毛量すげぇから、ふかふかで気持ち良かったっすよ」

  篠崎は入寮日の自己紹介で、元気良く、添い寝とエッチが大好きだから、寮中の人の部屋に遊びに行きたいと言っていた。それから毎晩いろんな人の部屋に行っては寝泊まりしてるらしい。愛想も良いし素直なやつだが、どうも変態くさくて、何となく心の距離を置いている。

  相田先輩はセントバーナードの三年生だ。まだあんまり喋ったことないけど、そうやってすぐに距離を詰められる篠崎を、少しは見習った方がいいのだろうか。

  「知ってます?相田センパイってめちゃくちゃアレが――――――あ、三下センパイちーーっす!!!」

  俺らに話しかけていたと思いきや、すぐに別の先輩に飛び付いていく篠崎に、こーすけも呆れた様子だった。天性の後輩気質と言ってもいいのかもしれない。

  ちょうど最後の段を降り終えて、玄関とは向かい側にある食堂へ、次々と流れ込む人の波に従って入っていった。

  食堂には、大きめの長机が十数個並んでて、学年ごとに座るテーブルが決まってる。席までは決まってないから、指定されたとこならどこに座ってもいいんだけど、何となくみんな自分の収まりがいいとこを見つけて座っていた。

  俺とこーすけは一番奥の二年生の机をよく陣取っていた。他の二年生たちがあまりこーすけに近づかないせいで、必然的に俺とも疎遠になりかけている。何でこーすけと関わらないのかは知らないけど……まぁでも確かにこいつ友達少なそうだ。

  その時急に後ろから肩を叩かれた。

  「渡嘉敷くん、一緒にご飯食べよう」

  声の方を見ると、羊獣人の青年が俺の肩に手を伸ばしていた。柔らかい羊毛が首筋に当たってくすぐったい。

  見覚えのあるようなないようなあやふやな印象。誰?と聞くこともできずにお茶を濁す。

  「えっと確か………………」

  「二年生の藤原だよ。向かい側の部屋の」

  「あぁーーそうだった!わりぃわりぃ」

  正直名前なんて全く覚えてなかった。この一週間喋ったこともないと思うし、ちらりと見かけた記憶しかない。

  「喋るの初めてだよね?良かったらどう?」

  飯の誘いか。そういえばここ一週間は、大体こーすけと飯を食ってたから、あまり他の人と絡んでなかった。篠崎を見習って、もう少し社交的になるべきかもしれない。

  一度こーすけの方を見ると、何かを察した様子でさっさといつもの席に歩いていってしまった。少し拗ねているんだろうか。藤原が誘っているのは俺だけだ。

  「いいよ。どこ座る?」

  俺が了承の返事をすると、藤原は細い瞳を輝かせた。

  少し混み合ってきた食堂内で、人混みに押されそうになりながら、適当なテーブルの端に並んで座る。寮館が点呼をとりに来るまで、飯をよそいに行っちゃいけない。まぁ三年生とかは当然のようにガツガツ食ってる人もいるんだけど。

  藤原は見た目のわりに図太く、机にどっしりと頬杖をつく。

  「渡嘉敷くんって田舎から来たんでしょ?」

  「あぁ、ハ重木島っていう南の方の島」

  「へぇーどんなとこ?人より虫の方が多いとか?」

  「それは当たり前だろ。海と山にすぐ行けて、んでどっちもめちゃくちゃ綺麗だ」

  「僕泳ぐの好きなんだよねー、行ってみたい!」

  「遠いし自然以外なんもねぇけどな!」

  俺がにこりと笑いかければ、向こうも笑顔になってくれる。清々しい会話ができて、なんだか幸せだ。

  それに、俺ちゃんと同級生と友達っぽい会話ができてる。なんかさっきまでこーすけが隣にいない不安のようなものを感じてた気がするけど、全然平気だった。

  思えば、同性愛者ってカテゴリーで見てしまってて、そうじゃない自分と無理やり距離を離そうとしていたのかもしれない。そうだ、別に恋愛対象が違うだけで、みんな俺のことを狙ってるわけじゃないもんな。

  「渡嘉敷くんはウルフドッグ?だっけ?」

  「そう……っても普通の犬科と変わらないけどな」

  何だか急に肩の荷が降りたような気がした。思えば、入寮初日からの度重なる篠崎とこーすけの痴漢に、寮の人全員がこういう変態なんだと勘違いしていたのかもしれない。ちゃんとこういう普通の人だっているし、他愛のない会話もできるんだから。

  「渡嘉敷くんはタチ派?ネコ派?」

  ちゃん………と………………普………………通。

  思わず数秒間思考が停止してしまう。その間頭は藤原の羊毛よりも真っ白だった。

  「タ………………チ?」

  「あぁえっと、掘るか掘られるか。どっちが好き?」

  藤原の口調は、名前や種族、出身を聞くのと全く同じ口調だった。まるで普通に履歴書に書いて提出しますよね、ってぐらい当たり前に。

  掘るか掘られるか…………一度その言葉の意味をがっつりと考えて、咀嚼して、想像して。

  思わず顔が赤くなる。

  「あっ、もしかしてまだ未経験?それなら、」

  「いいいいや、俺そういうんじゃねぇから!!!」

  藤原はパチパチと瞬きをして不思議そうな顔をする。

  「……え?どういうこと?」

  「いやだから……あの、別に俺同性愛――――――」

  「ここ座っていいかしら?」

  わけがわからない、といった表情の藤原に慌てて説明しようとするも、不意に正面から声がして、遮られてしまった。

  「あ、あやめ先輩お疲れ様です!」

  「おつかれ。向こう座るとこ無かったのよね」

  声の主は、華奢な体をした黒豹獣人だった。背は高いが身体のラインが細く、短いTシャツを捲ってわざわざ腹を出している。きっとくびれた腰を見せるための服なのだろうが、正直この時期には寒そうだという印象を持った。この人短毛だし、すぐ風邪をひくだろう。

  ただそれよりも俺を驚かせたのは、まるで女子のような高い声と喋り方。女言葉を完全に使いこなしてるし、あまり違和感も無かった。さっき帰ってきたのか、手には小さなブランドものっぽい紙袋を引っかけている。

  「あれ……?あなた初対面?」

  ピシッとモデルみたいに脚を組んだあと、ズイッと俺に顔を近づけて、値踏みするようにジロジロと観察される。長い睫毛や黒目がちな目はどう見ても雌っぽいのだが。

  「あ、えと、二年生から転入してきた渡嘉敷です」

  「そういえばあやめ先輩風邪で寝込んでたから、入寮日のとき居なかったですもんね!」

  いやそんな格好してるからすぐ風邪引くんだろう。腹巻きかなんかすればいいのに。

  雌っぽい見た目とは裏腹に、少しあやめ先輩の匂いを嗅いでみれば、ラベンダーの香水に隠れた雄の臭いを感じ取れた。きっと犬科の獣人でもないと分からないだろうけど、それが心臓のドキドキをがっちりと止めてくれた。めちゃくちゃ雌のふりをしてる雄だ、この人は。

  「ふーん……可愛いじゃない。私はあやめ。三年生よ。よろしく」

  ふふん、と何処か得意げな顔をして、あやめ先輩は俺の口元を指でなぞった。指先の仕草まで雌っぽくて、あまり嫌な気持ちにはならなかった。

  「あやめ先輩、渡嘉敷くん童貞らしいですよ!」

  「はっ!?いや、えっと、」

  「あら……じゃあ、私でよければいつでも待ってるわよ、トーカちゃん?」

  「トーカちゃんッ!!!????」

  気取った口調でいい女の雰囲気を出したがっているが、ここは紛れもなく薄汚れた男子寮の食堂内だ。間違ってもこの人の部屋に訪ねることはないだろうなと再三確認する。

  少し逆立ちそうな毛を気合いで落ち着かせて、バレないようにため息をつく。こういうとき上手いこと話を流すのは、こーすけの方がずっと長けている。

  「トーカちゃんは、誰と同じ部屋なの?」

  「……こーすけ…………利根川くんです」

  別に外国人みたいな呼び方をしたわけじゃない。

  「よく利根川と長時間一緒にいられるよなーー」

  「え……?」

  藤原が不満やため息を含んだ声で、俺にいい放つ。そこまで深刻な口調では無かったが、俺だったら信じられない、というニュアンスを秘めていた。

  こーすけも変わってるが、別にそこまで嫌な奴じゃないと思うのだけど。

  「だってあいつ僕のことラム肉って呼ぶんだよ?」

  「まぁ…………それは失礼ね…………」

  「ほんとですよ。こっちから話しかけても素っ気ないし、絶対向こうから話しかけてこないし。同じ部屋は絶対無理だな」

  藤原はどうやらこーすけのことを……嫌っているというか、あまり良く思ってないらしい。確かにこーすけは友達が少なそうだが、俺が話しかけたらちゃんと返事するし、向こうから絡んでくることの方が多い。

  「利根川ちゃんはツンデレなのよねぇ…………私もあんまり喋ったことないわ」

  「あいつがデレてるとこなんか想像つきませんよ。いつも不機嫌そうじゃないですか!」

  ルームメイトの俺に不満をぶつけられても困るのだが、一年間で色々と溜まっているものがあるみたいだ。

  でも、と俺も口を開く。

  「……普通に部屋じゃ笑ったりしてますよ」

  「え!?利根川が?ホントに!?」

  「ほーらやっぱりツンデレなのよ。トーカちゃんは好きな人の前だけデレるタイプなのね…………」

  あやめ先輩なりの分析を聞いたところで、食堂に寮監の先生が入ってきた。男子寮の寮監は女性の先生で、女子寮は男性の先生が担当しているそうだ。普通の学校とはそこも逆なのが、稲光学園の特殊さを示している。

  ホワイトタイガーの寮監が、静かに!!と声を張り上げたところで、あちこちでしていたお喋りは中断された。

  「はい点呼をとりますー…………全員いるわね!?」

  数えることもめんどくさいのか、寮監は投げやりにこっちに尋ねてくる。まぁ正直六時の点呼に全員いなかったとしても、そこまで問題じゃない。九時の点呼でも居なかったら大問題になるんだけど。

  ただ俺の一番身近にいる雌は、この寮監だった。肉食獣らしい引き締まった体に、上下同じジャージを着ている。確か本業は体育教師なんだっけ?思わず少し妄想が膨らむ。

  「全体の連絡は特にありません……三下くんの荷物が届いてるので、後で取りにきてください。一年生、夕飯の準備と片付けは協力してさっさとやること。以上!!!」

  てきぱきと早口で連絡を済ませたあと、寮監はさっさと踵を返して食堂から出ていってしまった。THE 厳しい寮監って感じで、なんか頼もしい。

  するとあやめ先輩は、ふん、と鼻を鳴らして頬杖をついた。

  「寮監もだいぶ変わったわね。私が一年生の頃は、もっと可愛げがあったのに」

  「え?どういうことですか?」

  「ちょっと媚びてて好かれようとしてたのよ。でも今は本当ガサツ。私の方が雌っぽいわ」

  まぁ確かに、雌っぽくないといえばその通りだが、おれから言わせればあやめ先輩も別にそこまで…………

  その時、

  「渡嘉敷センパイ!!飯とってきました!!一緒に食いましょ!!!」

  不意に俺の座っていた席の机の上に、トレイに載った夕飯がどん、と置かれた。置いた本人の篠崎も、嬉しそうに尻尾を振りながら片手に自分の分のトレイを持っている。

  ていうか何で俺の分だけ持ってきたんだ?

  「……いや、篠崎くん。どうせなら僕のも持ってきてよ」

  「あーー手二本しかないんで、ムリでした」

  「っ、それにここ二年生のテーブル!!ちゃんと自分のとこで食べてよ!!」

  「あやめセンパイだって三年生じゃないすかー!!」

  「先輩は先輩だからいいの!!」

  藤原はどうにも不満な様子だ。そりゃ俺も藤原と一緒に飯を食う予定だったし、篠崎の勝手な行動に巻き込まれるのは…………。

  「まぁまぁそんな怒んなくても。渡嘉敷センパイ、冷めちゃいますよ」

  「あ、あぁ、いや、」

  「…………生意気な奴が増えたなぁホント」

  「私は部屋に戻るわ。シノちゃん、いい子にしてなきゃダメよ?」

  「はーい!!ねぇ渡嘉敷センパイ!!このアジフライめっちゃ旨いっすよ!!!」

  嬉しそうにアジフライにがっつく篠崎を見て、呆れながらもどこか微笑ましい気持ちになった。こういう子供っぽさが、あやめ先輩にも好かれている原因なんだろうか。世渡り上手というか、どうも憎めない奴だ。

  「って渡嘉敷くん僕のこと忘れてたよね!?」

  「え?あぁ……お前も飯とってこいよ。冷めちまうぞ」

  口うるさい藤原をさっさと席を立たせて、俺も夕飯のアジフライにかぶり付く。まだ出来て一時間も経ってないのだろう、魚の脂とソースの味に舌鼓を打った。

  ふと、こーすけの方を見ると、夕飯も食べずとっくに席を立っていて、一人で部屋に帰ったみたいだった。

  さっさと飯を食った後、篠崎と藤原とも別れて、俺は部屋に戻ることにした。食堂では余ったアジフライじゃんけんが行われていたが、そこまで食欲も無かったし、風呂にでも入ろうかと思ったところだ。

  部屋の扉を開けると、こーすけは机に向かって何やらカチカチとマウスを動かしたり、ペンを走らせたり、忙しなくいつもの作業をしていた。

  こーすけは自分のパソコンを隠し持ってて、寮監にバレないようによく外にも持ち出してる。俺は機械にめちゃくちゃ疎いから、何してんのかわからないけど。

  「……またマンガ描いてんのか?」

  「………………同人誌。コミケまで時間ないし」

  「…………ふーん。どんなマンガ?」

  「………田舎者のウルフドッグの男子寮生が先輩たちに種付け雌調教される話」

  「っっっ!!!???はっ?いや、それ、」

  「冗談だよ。版権モノだし」

  ……こういう俺を驚かせる嘘を、こーすけはよく平気な顔して言えるもんだ。こーすけがパソコンで描いているマンガは、いわゆるBLとかいうやつで、雄同士の恋愛を描いているらしい。それを本にして、なんかのイベントの時に売ってくるとか……細かい説明は忘れた。

  「…………からかうなよ」

  「自分がされてるとこ想像した?」

  「いや流石に」

  元々俺はえっちな話題にめちゃくちゃ疎かった。知らない単語とか分かんないフレーズもたくさんあったんだけど、こーすけが過去に描いた本を読んだときに、色々と勉強させられた。しかも全部雄同士のやつ関連の言葉ばっかりだから、こーすけのセクハラの意味だけは分かるようになってしまい、理解してる分顔が熱くなる。

  ……それに単語だけじゃなくて、雄同士のその……やり方まで知ることになった。こーすけに教わったときはかなりげんなりした。

  ふと、こーすけのゴミ箱に目が入る。食べ終わったカップ麺の容器が、割りばしと共に捨てられている。多分さっき食った分だろう。下手すりゃ二日に一回くらいのペースで食べてる気がするこいつ。

  「夕飯のアジフライ旨かったぞ」

  「そー、良かったね。友達と食べれて」

  何気なく言ったつもりだったが、こーすけの返事は少なからず嫌味のような雰囲気が感じられた。なんだコイツ、俺が藤原と飯食ったからって拗ねてんのかよ。

  それに、こーすけは藤原にかなり態度が悪いらしい。何で人によって態度を変えるんだろうか?藤原もそんなに悪いやつじゃないのに。

  なんだか少し腹がたってきて、これ以上俺から話しかけるのは止めた。作業の邪魔するな、的なオーラも何となくするし。

  俺も椅子に座って、終わった数学の宿題をクリアファイルに綴じた。今日一日頑張ったから、あとは日記くらいか。宿題を土曜日に終わらせられた時ほど、楽しみな日曜日はない。明日一日何してても自由だ、何しようかな。

  ぼーーっと明日の予定を考えていると、

  「……………っ、なんだよ。びっくりした」

  座っている俺の首元に、こーすけが抱きついてきた。考え事してたから気配もわかんなかった。今は俺の顔の真横にめちゃくちゃ気配を感じるけど。

  俺の鎖骨辺りで組まれたこーすけの両腕は、昼間みたいに俺にセクハラしようとしてるわけじゃなかった。まだ右手にペンも持ってるし。

  こーすけは俺の耳元で、小さなため息をついた。

  「………………ごめん」

  「……は?いや、何が?」

  吐息混じりに小声で呟くこーすけの言葉の意味がわからなくて、思わず聞き返す。いや確かに少し腹は立ったけど、そんなのいつものことだ。謝るようなことは何もない気がするけど。

  「…………意地悪言って、ごめん…………から、嫌いにならないで……………」

  「……いや別に気にしてねぇよ」

  何なんだ急に。軽い嫌味一つでめちゃくちゃ大げさに謝ってくるじゃねぇかこいつ。そんなことで嫌いになるほど器の小さい人間じゃねぇぞ俺は。

  こーすけを横目で見ると、見るからにショボくれてるような、悲しげな表情をしていた。

  「……………………ほんと?」

  「え、いやなんだどうしたんだよ急に。別に俺、」

  その時、コンコンコン!とノックが三回。誰か来たようだ。こっちが返事をしようとする前に、

  「渡嘉敷センパイちーーっす!!!風呂行きましょ!!!」

  言葉と共に扉が勢いよく開いて、さらにそれと同時に、

  「……ほら、ここ糸付いてたよ」

  こーすけはケロリと元のすまし顔に戻って、抱きついていた腕をパッと離した。恐らく篠崎が来たから見られないようにしたんだろうか。

  篠崎を見ると、片手に風呂桶と用具、タオルと着替えを器用に抱えており、ぶんぶんとうるさく尻尾を振っている。こいつ四六時中尻尾振ってるけど疲れねぇのかな。

  「センパイ!風呂行きましょ!!利根川センパイもどーすか?」

  「いや、俺は後で入るからいい。二人で行ってきなよ」

  「あーじゃあちょっと待ってろ」

  立ち上がって、箪笥の中からあれこれ洋服を引っ張り出す。風呂用のセットはいつでも行けるように俺も桶に入れて置いといてある。

  「利根川センパイなにしてんすか?」

  「同人誌描いてる。pc持ってること寮監に言わないでね」

  「なんで?禁止なんすか?」

  「あんまり高価な物は持ち込んじゃいけないの。言ってもこのノートも12万くらいだけど」

  「うわっ!!すげー!!絵上手いっすね!!!」

  後ろで聞こえてくる会話は、普通に先輩後輩のものだ。こーすけも、篠崎相手のときは全然俺のときと変わらない。あやめ先輩や藤原が言っていた冷たい態度っていうのは、どういう基準で相手を選んでいるんだろうか。

  あ、この見覚えのないタオル……たぶんこーすけのだ。

  「こーすけ、これ混じってたぞ」

  「……あ、ほんとだ。何でだろ」

  洗濯場は男子寮の一階にあって、洗濯機と乾燥機が五個くらい並んでる。洗剤とか柔軟剤とか気にする人は自分の分だけ別で洗うみたいだけど、気にしない人は部屋の人とまとめて洗ったりもしてる。個数も限られてるし、時間節約の為だ。こーすけと俺も交代で一緒に洗濯してるけど。

  適当に綺麗そうなTシャツと短パンを手にとって、桶の中に山盛りにぶっこむ。どうせ脱衣所で仕分けるし。

  「センパイたちの部屋って案外キレイっすよねー!」

  「……お前部屋汚そうだな」

  「同室の子が掃除してくれてるんでそうでもないっすよー」

  篠崎とルームメイトには、間違ってもなりたくない。どうせ投げ散らかしてそのまんま先輩のとこに行ってるんだろう。ルームメイトの子が篠崎のパンツを床から拾っている絵面が頭に浮かんで、同情を覚えた。

  男子寮の風呂場は一階の洗濯室の隣にあって、入ってすぐ簡易的な脱衣所がある。脱衣所といっても床にマットが敷いてあって、壁付けされた真四角の棚が並んでるだけのとこなんだけど。週に一回、二年生は脱衣所と風呂場の掃除をしなくちゃならない。大体週末のどっちかにやるみたいなんだけど、多分明日だろう。こういうのってすぐ後回しにされるから。

  「あれ?誰もいないみたいっすねー!!」

  脱衣所の棚は空っぽで、風呂場も使われてる感じはない。夕食後に浴びる人が多いから、きっと混んでるだろうと思ってたけど、たまたま俺たちだけのようだった。

  「やっと二人きりになれましたね、センパイ……」

  「お前からなりにきたんだろうが……」

  キリッとした顔で冗談を言う篠崎を無視して、さっさと服を脱ぎ始める。島にいたころは風呂が嫌いだったが、寮に入ってから逆に好きになった。俺んちにはシャワーなんてものはなかったから、浴槽に湯を貯めて桶ですくって体を流していた。沸かすのにも時間かかるし、いちいちすくうのもめんどくさかった。だが寮の風呂は蛇口を捻れば勢いよくお湯が出るし、広い浴槽にも浸かれる。都会は便利だなぁ、と改めて思うところだった。

  「……いややっぱりセンパイ良い身体してますよね!!」

  「え?あーそうか?」

  「なんかバランス良いっていうか、筋肉が不自然じゃないみたいな?」

  ジロジロと篠崎の視線を感じながらも、自分でも自分の体を見直してみる。まぁ確かに、島にいたころは毎日走り回ってたし、よく海にも潜ってた。じぃちゃんの畑も手伝ってたから、体はそこそこ引き締まってるとは思う。

  「こことか特にイイカンジでぇ……!!」

  篠崎の手がそっと俺のケツに触れる。急に触られたので体が驚いてビクッとする。

  「締まりも良さそ―――――――」

  「さ わ ん な!!!!」

  いやらしく俺のケツを揉みはじめた篠崎の腕を掴んで捻り上げる。ほんと隙あらばセクハラしようとしてくるなこいつ。

  少し頬が赤くなるのを感じながらも、ニヤニヤと笑っている篠崎を強めに睨む。いくらここがホモだらけの男子寮だとしても、流石にやり過ぎだ。どう叱ってやろうかと考える。

  「センパイかわい――――じゃなくてスイマセン。だからそんな睨まないでくださいよー!!」

  「お前……風呂誘ってきたのもえっちな事が目的か?あぁ!?」

  「違いま……せんけどそれだけじゃないっす。センパイともっと仲良くなりたいなぁって」

  俺の怒りが少しは伝わったのか、ずっと揺れていた篠崎の尻尾がしゅん……と垂れ下がる。思えば篠崎の尻尾が止まるとこなんか初めて見るような気もする。

  それになんだかあまり怒鳴り散らす気にもなれなくて、ため息混じりに文句を言う。

  「人が嫌がってんのわかんねぇのかよ……」

  「でもセンパイ俺がケツとか触ったあと絶対顔赤くなるし……照れてるだけなのかなぁって思ってました!」

  「照れてねぇ!!……恥ずかしいだけだ!!!」

  「恥ずかしいんすか?じゃあホントは嫌がってないじゃないすかっ!!」

  いや、嫌がってるつもりだ。でもえっちな事を言われたりされたりすると、俺まで恥ずかしくなって顔が赤くなってしまうだけだ。

  「嫌なもんは嫌なんだよ!!この変態エロ狼!!!」

  「ヤバい照れてるようにしか見えない!!センパイ可愛い!!!」

  「どうしたんだぁ?ケンカはダメだぞーー」

  不意に第三者の声がして脱衣所の入り口の方を見ると、190近い巨体のセントバーナードが、のっそりと歩いてきていた。体がデカイ分かなり存在感があって、威圧されているようにも感じる。

  「あ、相田先輩おつかれーっす!!」

  「おつかれーー。犬科同士で何ケンカしてんのー?廊下まで聞こえたよー」

  随分と間延びした喋り方で、やんわりとケンカを注意してくる相田先輩。実際喋ったことはあまりなくて、ほとんど顔も合わせたことないけど、優しくていい人だと聞いていた。心優しい巨人だと。

  相田先輩も風呂桶を抱えていて、ちょうど入りに来たんだということが伺い知れる。相田先輩は俺らの仲裁をするように、真ん中に割り込んできてそこの棚を使った。

  「ケンカじゃないです……ただ篠崎が、えっちな事してきたんで怒ってました」

  「篠崎ー、相手が嫌がることしちゃだめだろー?」

  「でも渡嘉敷センパイ照れてるっつーか、イヤよイヤよも好きなんちゃらみたいな!!?」

  「なんだー?嫌じゃないのかー」

  「嫌ですよ!!やめろって言ってるのに何度も何度もしつこくて……」

  「嫌なのかー。しつこいのはダメだぞーー」

  「全然しつこくないっすよ!!今日だってまだ二回目だし!!」

  「二回かー。じゃあしつこくはないなーー」

  「十分多いわっ!!」

  相田先輩は俺らの言い分を交互に聞きながら、ニコニコと笑ってやんわりと言い合いを止めようとしてくれていた。本気でケンカしてるわけじゃない、と分かった上でのことなのかもしれないけど、ちょっとは真面目に叱ってほしい。

  大体篠崎も、一応センパイなんだからもう少し俺に遠慮してくれたっていいのに。口調だけだ、センパイセンパイ言ってるのは。

  相田先輩はぽいぽいっと服を全部脱いでしまうと、乱雑に棚の中に突っ込んだ。入寮して二年経ってる先輩は、やはりスムーズさが段違いだ。

  「まぁまぁ何にせよ、ケンカはダメだぞ。お互いに大人にならなきゃなーー」

  「…………はい、なんかすみません」

  怒られてるのか怒られてないんだがよくわかんない口調で相田先輩はのんびりと俺らを叱ると、風呂桶を抱えて俺の肩をポンポン、と叩く。

  ……いや実際はドンッドンッ!!って感じだったけど。めちゃくちゃ力強いなこの人。

  篠崎を見ると、子供のように口を尖らせてショボくれていた。たった今大人になれって言われたとこだぞ。

  「ゆっくりと湯に浸かってれば、頭も冷えるさ。もしそれでもケンカするんだったら、俺が踏み殺すぞー」

  全く口調もトーンも変わらず、のんびりとした声のまま発せられた恐ろしい言葉に、俺も篠崎も一瞬だけ考え込んでからビクッと体を跳ねさせる。

  何で平然とした拍子でそんな怖いこと言えんだよ……サイコパスか!

  そっと頭に浮かんだ言葉を飲み込んだのは、変わらずニコニコと笑いながら相田先輩が人を踏み殺している絵面がイメージできてしまったからだった。やばい、めちゃくちゃ怖い。

  相田先輩はそのまま風呂場に入っていって、磨りガラスの引き戸をガラガラと閉める。

  ふと篠崎を見ると、尻尾を足の間に挟み込んで、体を小刻みに震わせていた。めっちゃビビってた。

  そのとき、

  「おーーい、石鹸忘れたから持ってきてくれーー」

  「っ、は、はいッ!!!」

  「今持っていきますッ!!!」

  風呂場から聞こえた相田先輩の声に、奪い合うように石鹸を掴んだ俺と篠崎は、恐る恐る風呂場に向かうのだった。

  「あっ、そういえば相田センパイって彼氏いるんすか?」

  シャアアアと勢いよく流れる水音の中、体を洗いながらいつもより大声で篠崎が質問する。篠崎、相田先輩、俺、という順番に横並びでシャワーを浴びながら、相田先輩と篠崎はずっと雑談をしていた。正直俺から何て話しかけたらいいかわかんなくて、俺一人だけ黙ってるだけのことなんだけど。

  普通の男子寮だったら当然、彼女いるんすか?になるところを、雄だと断定して質問するところに、篠崎の順応の早さを感じる。こいつだって数ヵ月前までは普通の中学を卒業してきたはずだ。

  「彼氏はいないけど、彼女ならいるぞーー」

  のんびりとしつつも低くてよく通る声が、風呂場のタイルに反響する。

  ……ていうか、今スゴいこと言わなかったか?

  「あれ?雌なんすか!?」

  「そうだよーー、俺バイだからー」

  ゆったりとした口調の相田先輩とは反対に、俺の頭は雷に撃たれたような衝撃を感じていた。

  バイ、というのはもちろんバイセクシャルのことだ。要は両性愛者で、雌雄関係なく恋愛対象になる、という人のこと。

  そうか、この学園そういう人もいるんだった。入寮してすぐは同性愛者たちに囲まれて、この学園に入った以上は雄としか恋愛もできないんだろうと諦めていたのだが、相田先輩のようなバイも女子たちの中にいるとしたら、可能性はゼロじゃないということだ。

  俄然、これからの学園生活に希望が持てた。だって雄好きの雌だっているはずなんだから。

  篠崎と相田先輩の会話に、もっと耳を傾ける。

  「寮生っすか?」

  「ううん通学。同級生でクラスメートなんだーー」

  「えーじゃあ毎日ラブラブじゃないっすか!!いいなぁーー!!」

  「そうでもないよー。向こうも奥手だからーー」

  相田先輩の話を聞きながら、自分に置き換えてどんどんどんどん妄想を膨らませていく。俺のクラスにそんな感じの子いないかなぁ。緊張してまだあまり喋れてないんだけど。

  「何獣人っすか?」

  「鹿だよー」

  「じゃあかなり身長差あるんじゃないすか??」

  「んー150くらいかなぁ。でもちっちゃくて可愛いんだぞーー」

  「ベタ惚れしてるじゃないすかっ!!リア獣め!!」

  篠崎が相田先輩の背中を軽めに叩く。相田先輩もまんざらでもなさそうで、相変わらずニコニコと笑っていた。こういう社会性は、篠崎のスゴいところだ。

  「うん可愛いよぉーーーー食べちゃいたいくらい」

  その瞬間俺と篠崎は同時にビクッ!!と体を震わせた。相田先輩はそれも気にせず、体中泡だらけになっているけど。

  「セ、センパイが言うとシャレにならないんで止めてくださいよー」

  「はははーーそうかな?」

  なんだか怖い人だこの人。さっきの踏み殺すのもそうだけど、なんだか本当にやりそうなイメージが明確にできるから、めちゃくちゃ怖いんだ。

  まぁ多分本人も冗談のつもりで言ってるんだから、あんまり過剰反応するのも可哀想か。自分の体のデカさを考えてから言ってほしい。

  「でも……実際この学園で雌と付き合うのって、どうなんすか?大変なんすか?」

  ちょうど篠崎が、俺が一番聞きたかったことを代わりに聞いてくれた。現実的に、俺が雌と付き合える可能性がどれだけあるのかは気になるところだ。

  相田先輩はまだ体に泡を増やしながら、少し間を置いて喋りだす。

  「うーーん……まぁ大変だねぇ。まず付き合うまでが大変かなぁ。ほとんど脈ナシなことも多いし。俺もその子口説くのにめちゃくちゃ時間かかったよーー」

  「その子も元々バイだったんすか?」

  「いんやーー、普通にレズだったよーー。でもアタックし続けてたらようやく折れて、付き合うことになったーー」

  「よっぽどその子のこと好きなんすねぇ……」

  「二年のとき委員が一緒でさ。怖がらないで話しかけてきてくれたんだよねーー」

  そこからは相田先輩の惚気話が始まって、俺も途中からあんまり聞いてなかった。俺の頭の中には色んな種類の妄想がいっぱいで、これからの学園生活を不安に思っていることへの表れのように思えた。

  相田先輩はアタックし続けてなんとか口説き落としたみたいだけど、それは相田先輩のおおらかで優しい性格があってのことだろう。恋愛経験も全くなくて、女子と目も合わせられない俺が、彼女を作ることはできるんだろうか?まぁ相手すら見つかってないけど。

  ただひとつ言えることは、可能性はゼロじゃないってことだ。現に相田先輩だって成功してるんだし、チャンスはあるに決まってる。

  絶対彼女作ってやるぞ!と気合いを入れて、頭をガシガシと強めに洗った。

  そのとき、

  「相田ー!シャンプー貸してくれー」

  風呂場の引き戸がガラガラガラっと開いて、シベリアンハスキーがタオルだけ肩にぶら下げて、堂々と入ってきた。と思ったら、俺の隣にどっしりと座って、シャワーを浴びはじめる。

  この人は、三年生の久郷田先輩だ。シベリアンハスキーで、相田先輩の次くらいに背が高い。体もムキムキで、サッカー部に入ってるらしい。言葉とかは乱暴で態度も大きいが、素行不良なわけじゃない。ただ強面だからやっぱ怖いけど。

  そして、俺が風呂に入るとよく現れる。なぜかタイミングが被りやすいみたいだ。

  「久郷田センパイっ!おつかれっす!!」

  「篠崎オメェ夕飯の準備サボったろ!!アジフライも二枚食いやがって……」

  「あースイマセン!!相田センパイと添い寝してました!!」

  「相田も寝てばっかいんじゃねぇよ……ったく」

  聞いての通り、わりとルールは重んじる人で、後輩の躾をするのも久郷田先輩の役割になってるそうだ。真面目なわけじゃないから、自分にだけ甘いところもあるみたいだけど。

  「てか渡嘉敷また会ったな。昨日も風呂一緒だったろ?」

  「あぁ、そうっすね……たぶん一昨日もですね」

  久郷田先輩とは風呂場以外で喋ったことがない……というかほとんど見かけない。でも毎日のように、同じタイミングで風呂に入りにくるから、比較的距離も近かった。

  「んだよ物欲しそうな面して……俺のちんこしゃぶりてぇのか?」

  「ッ、!!!???してないです!!!!」

  そして会う度この先輩もセクハラ発言をしてくる。これも裸の付き合いが数日続いたからなんだろうか?

  俺が思わず顔を赤らめていると、久郷田先輩は嬉しそうに豪快に笑う。まぁ直接触ったりしてこないだけ、篠崎よりましだ。ちゃんと節度を持ってる人だろう。

  「やっぱりウブだなぁお前。おもしれぇや」

  「俺は全然面白くないですけどね……」

  みんなして俺にセクハラしてからかって、何がそんなに面白いんだろうか?俺には多分一生理解できない。

  「まぁお前でいいや。シャンプー貸せ」

  「あっはい……どうぞ」

  久郷田先輩は自分でシャンプーを持ってこないことが多かった。忘れっぽいのかめんどくさがってるのか知らないが、よく先に風呂に入ってる人たちから借りている。例外なく俺も何度か貸しているが、こうも毎度忘れるなら俺が持ってくるのに、とまで思った。

  「久郷田センパイ!!明日って練習何時からでしたっけ?」

  「一年生は八時集合だ。遅れんじゃねぇぞ」

  そういえば篠崎もサッカー部に入ったって言ってたような気がする。てことは同じ部活の先輩後輩でもあるわけか。そりゃ仲良くなるのも早いはずだ。

  「大体篠崎っ!!オメェは遅刻が多すぎんだよ!!」

  「すいませーん、気をつけまーす」

  「謝る気あんのかゴルァア!?」

  巻き舌でキレる久郷田先輩、ほんとにチンピラみたいだ。言ってることは正しいことなんだけど。

  「なんか久郷田血の気多いねぇーー溜まってんの?」

  「……あぁ、今夜あたり発情期だ」

  のんびりとした相田先輩の質問に、そつなく返す久郷田先輩。あんまりみんな恥ずかしいから、自分の発情期は言いたがらないけど、そこは流石というかなんというか。

  特に犬科は発情期が他の種族より比較的長めで、十代の頃は頻繁にくるって言われてる。ここには犬科しかいないからいいけど、猫科のやつにバカにされるとちょっと腹が立つもんだ。

  ……にしても久郷田先輩発情期か。この人性欲強そうだから大変そうだな。

  「へぇおつかれーー。また利根川に手伝ってもらうのーー?」

  「あぁそのつもりだ。アイツ上手いからな」

  そのとき、何気なく二人になされた会話に俺はかなり衝撃を受けた。利根川って……こーすけが、発情期の久郷田先輩を……手伝う?手伝うってどういうことだ。

  いや、紛れもなく、発情期になって性的に興奮した久郷田先輩が、こーすけを抱いて……性欲を発散するってことだろう。また、ってことは前までも何回も、こーすけは久郷田先輩の性欲処理に手伝ってきたってことなんだろうか?こーすけと久郷田先輩って付き合ってるんだろうか?それならまだ理解できるけど、そんな素振りこの一週間じゃこれっぽっちも感じなかった。

  ……ていうか、なんだこのモヤモヤした感じ。自分の胸の中に、よく分からないモヤモヤが突っかかる。なんかこーすけは、えっちなことはしてくるし言ってくるけど、本気でそんなことやってるイメージが沸かなかった。でも久郷田先輩が上手いって言うからにはきっと……いや危ない、想像しかけた。

  チラリと横目で、久郷田先輩の……ソレを見る。股の間にふてぶてしくぶら下がってるソレは、俺のより一回り以上は大きい。これがさらに大きくなって、行為に及ぶわけ……なんだけど。

  ホントに入るのか……?あんなのが……?こーすけと20センチも身長違うんだぞ……?

  なんだか生々しい想像をしている俺の頭をブンブン振ってどっかへ追いやる。きっと俺は性に関して無知すぎるから、こんなに悶々と考え込んでしまっているのだろう。それこそセクハラは何度もされたが、自分の身近な人のそういうリアルな話は、できれば聞きたくなかったような気がする。

  さっさと体の泡を落として、湯にも浸からずに部屋に帰ることにした。なんかこれ以上先輩たちの猥談も聞きたくないし。

  「あっ!渡嘉敷センパイもう出るんすか?」

  「……あぁ、のぼせた……」

  「俺も出ます!!センパイたちおつかれっした!」

  脱衣所で丁寧に体を拭いていると、びちょびちょのままの篠崎が俺に付いてきた。そういやなんでこいつこんなに俺に構うんだろうか。相変わらず尻尾をブンブン振って、水滴を脱衣所に撒き散らしている。

  「センパイのぼせたって大丈夫すか?」

  少し心配そうな顔で、篠崎は俺の顔を覗き込んでくる。別にのぼせたってのは早めに出るための嘘だから、ホントはなんともないんだけど。

  「大丈夫だよ……お前水滴撒き散らすと寮監に怒られるぞ」

  「そんなのどーでもいいっすよ。あっ、ホントだちょっと顔赤いっすね」

  不意に篠崎が、俺の頬に手を添えてくる。急なことでビックリしたが、別にえっちなことをされているわけじゃないので過剰反応しないようにする。

  さっきも相田先輩に大人になれって言われたとこだったしな。

  「……………………………………………………」

  「……………………………………なんだよ」

  「……いや、センパイやっぱり可愛いなって」

  「はぁ!?どこが?正反対だろ…………」

  未だに俺の頬を触りながらじっとこっちを見てくる篠崎を無視して、腕に付いた水滴をなるべく落とす。本当はぶるぶるって体を振って水滴を一気に飛ばしたいところなんだけど、壁とか床とか色んなところに飛び散るから、脱衣所では禁止だ。俺は短毛な方だから気にならないけど、相田先輩とかは風呂上がりが一番大変だろう。

  「センパイの仕草とか、キョドり方とか、照れ方とか……なんかめっちゃ幼くて可愛いんですよ」

  「そうやって俺にえっちな事言ってからかってるんだろ………てかいい加減手どけろよ」

  俺がそう言うと、篠崎は渋々と言った様子で手を離して、自分の体を拭き始める。俺ばっかからかってないで、たまには違う先輩のとこに行けばいいのに。というかこいつ同級生と喋ってるとこ見たことないな……一年生同士仲良くするのも大事だと思うんだけど。

  「からかってるっつーか……だって好きな人の色んな顔見たいって思いません?」

  「そりゃそうかもしんねぇけど…………」

  まぁ確かに、好きな相手にほどぶっきらぼうになったり、ちょっかいかけたくなる、っていうのは良く聞く。気になるけど素直になれない……みたいな。

  ……ん?好きな人?

  「……ちょっと待て今なんつった?」

  「何度も言わせないでくださいよ。俺センパイのこと好きなんすからー」

  あっけらかんと言う篠崎に、思わず一度聞き流してしまったけど、今スゴいこと言ってないかこいつ。えっこれって告白なのか?

  「……その、好きって……恋愛対象で、ってことか?」

  「当たり前じゃないすか!!ってかここ数日ずっと好き好き言ってるのに、気づいてなかったんすか!?」

  「そんな言って……なかっただろ……?」

  今めちゃくちゃ驚いていた。確かにここ数日やたらと絡んでくるなとは思っていたけど、まさか自分が恋愛対象として見られて、アプローチされていたとは思わなかった。ただただ性に疎い俺をからかってるだけだと……。

  「……いや、確かに好きって言葉使ったのは初めてっすけど、気づきません?フツー」

  「…………全然気づかなかった」

  ボソッと俺が答えると、篠崎は大げさなため息をついて呆れ顔になる。まるで俺がとてつもないミスをしたかのようなテンションだ。

  「頼みますよセンパーイッ!!いくら俺が社交的だからって好きでもない人のケツ揉んだり朝勃ち見せに行ったりしませんよ!!!センパイも分かった上で照れてるからただのツンデレなんだと思ってましたよ!!!」

  「そ、そうだったのかよ…………」

  まぁでも今冷静に考えればそうか。嫌がらせしたいからケツ揉むって、わけわかんないもんな……。篠崎の好意に全く気づかなかった俺も、少しは非があるのかもしれない。

  ついうっかり、ここが同性愛者たちの男子寮だってことを忘れそうになる。俺一人が違うからか、俺は部外者です、みたいな気分で生活していた。でも紛れもなく俺は稲光学園の男子寮生で、そこに所属しているのだ。もう少し周りからどう思われているのか、気にした方がいいのかもしれない。

  「…………じゃあ、センパイが勘違いできないようにちゃんと言いますね?」

  すると篠崎は、いつになく真剣な顔つきになっていた。こんな顔をする篠崎は初めて見るし、少し不気味だった。

  篠崎は俺の肩を両手でしっかりと掴むと、真正面から俺の目を見据える。絶対逃がさねぇぞ、と圧迫されているような気がして、思わず目を逸らす。

  「逸らないでください。俺今マジメっす」

  低いトーンで喋る篠崎がいつもより雄らしく見える。年下とは思えないほど堂々としてるし、真っ直ぐと芯のようなものが垣間見える。

  篠崎に言われてしまったので、仕方なく目を合わせる。真剣な表情で見つめられて、笑ってごまかすこともできない。

  「センパイ、俺センパイが好きです。可愛いとこも男らしいとこも含めて全部好きなんで、俺と付き合ってください」

  「っ、…で……でも、まだ出会って一週間だぞ?」

  「時間は関係ありません。好きなんすもん……」

  恋愛経験にあまりにも疎い俺は、こういうときどういう顔をしてたらいいか分からなかった。だからぽかんと口を開けて呆然としてる俺の顔は、きっと間抜け面だっただろう。普段ならそんな俺の顔を見て、腹を抱えて笑いそうなものを、篠崎は真剣に俺を見つめ続けている。

  どうしたらいいのか分からなかった。それくらい頭が真っ白だった。何せ人生初の告白が、出会って一週間の雄の後輩に脱衣所で全裸で肩を掴まれているのだから。

  そのときだった。

  「…………えっ?何……どういう状況……?」

  固まったままの俺たちを見て立ち止まり、こーすけは耳についているイヤホンをそっと外した。やはり驚いているのか、こーすけは普段は全く見せないほど目を丸くして、呆然とした様子で立っていた。

  篠崎はゆっくりと振り返ると、俺の肩を掴んでいた手を片方外した。

  「今渡嘉敷センパイにコクったんすよ。それで返事待ちです」

  「………………ふーん…………………………」

  こーすけは急に不機嫌そうな顔になると、目を細めて手早く服を脱ぎ始めた。篠崎の揺れている尻尾とは裏腹に、ピンと固さを持って動かないこーすけの尻尾に、何かにイラついているのは見てとれる。

  「……別にどうでもいいけどさ、脱衣所でやるもんじゃないんじゃないの?人来るし」

  それは俺も同感だった。何より俺らは服を着てないし、きっと誰が見てもこーすけと同じ反応をするだろう。

  「いいんすよ、見てくれた方が牽制にもなりますし」

  「あっそ。俺にはどうでもいいけど……」

  こーすけの服を脱ぐスピードは次第に早くなっていき、競争をしてるかのようにさっさと全裸になって風呂桶を抱える。まるでこの場から一刻も早く立ち去りたい、と言ってる気がして、なんだか申し訳ない気持ちにもなった。

  こーすけは脱衣所から風呂場のドアに向かう途中に、少しだけ立ち止まって、こっちを見る。

  「さっさと返事してあげたら?俺にはどうでもいいけど」

  「っ、……………………………………」

  そう言ったこーすけの目は紛れもなく俺の事をきつく睨んでいて、まるで、

  『イエスと言ってみろ殺すぞッ!!!』

  と脅されているような気がして、思わず肩が縮こまった。こーすけはそのまま乱暴に引き戸を開けると、音を立ててバァンッ!!と勢いよく閉めた。

  何となく篠崎を見ると、篠崎もビビっているような顔をして、

  「……怒ってましたね」

  「……そうだな」

  二人してしばらく声を失ってしまったのだった。

  時刻は八時過ぎ。九時の点呼までにはだいぶ時間もあるし、まだ食堂にいるには早すぎるんだけど、怒っているこーすけと部屋で二人になるのはどうしても嫌で、こーすけが上がってこないうちに食堂に逃げてきたのだ。

  いや、どうせ寝る前には二人きりになってしまうし、今逃げたって仕方がないんだけど、あんなにイラついているこーすけを見るのは初めてで、困惑してしまっていた。仮に俺が悪くて謝りたくても、何に対して謝ればいいのかもわからない。

  すると、俺の座っている机の向かい側に、夕飯のトレイがそっと置かれる。見上げると、あやめ先輩が真向かいに座ろうとしていた。

  「…………飯遅いんすね」

  「九時までなら何食べてもいいってルールを決めてるの。逆に夜食は絶対ダメよ、毛並みが悪くなっちゃう」

  モデルのようにピシッと脚を組んでから、箸を持って小声でいただきます、と呟くあやめ先輩。美しくなるためにスゴく努力しているのは伝わってくる。黒豹なんだから毛並みなんて言われたって大してわかんないだろ、とか言ったら殴られるんだろうか。

  あやめ先輩は綺麗な所作で三角食べをしながら、俺の方を見て首を傾げる。

  「ここ数時間でなんかとてつもないことが起こったような顔してるわよ?大丈夫?」

  「あぁまぁ……はい、そうですね…………」

  他人から見たら大したことではないのかもしれないが、俺からしてみれば心にずっしりとのし掛かる重荷がある。きっとこれが悩みっていうヤツなんだろう。どうしたらいいか分かんなくて、誰かに相談したくなるような。

  「悩みならなんでも聞くわよ?解決するかはわからないけど、誰かに話した方が気が楽になるものでしょ?」

  「……ありがとうございます。そうっすね、えーと……」

  あやめ先輩とは今日が初対面みたいなもんだけど、なんかこの人には気を遣わなくていいな、という安心感があった。それがあやめ先輩の中でも女性的な部分なのかもしれない。

  「さっき……篠崎に好きですって告白されて…………」

  「あら、シノちゃんが?」

  「はい。自分では篠崎がそんな風に思ってるなんて全く気づかなかったんで、ビックリしたんですけど…」

  「あらそう?晩御飯のときとかかなり露骨だったけど」

  「え?そうなんすか?」

  「……トーカちゃん鈍感ねぇ。藤原に誘われてるあなたみて横取りしたくなったのよ、シノちゃんは」

  あの夕飯のときの身勝手な態度は、藤原やあやめ先輩と仲良く喋ってる俺を見て、嫉妬したからということなんだろうか?あやめ先輩に言われなきゃ気づかなかったかもしれない。俺はそれくらい周りの人のことをよく見えてないのか。

  「それで?返事はどうしたの?」

  「とりあえず今は待ってもらってます………何ていうか、どうしたらいいか分かんなくて」

  篠崎にちょっと待っててほしい、となんとか伝えて、逃げるように部屋に帰ったのはあまり良くなかったのかもしれない。あそこで堂々と返事ができたら、歯切れもよく悩まずに済んだというのに。

  「トーカちゃんはシノちゃんのこと好きなの?」

  「好き……ですけど、恋愛の意味で好きなわけじゃないです。あくまで後輩っていうか」

  「じゃあそのままストレートに伝えたらいいじゃない。シノちゃんさっぱりしてるし、未練がましくもないと思うわよ?」

  そうだ。あやめ先輩の言うとおりで、それをそのまま伝えればいいんだけど、あのときは言い方が分からなかったのだ。どういう言葉で、どういう口調で返事をすれば、篠崎の真剣な好意に応えることができるのか、わからなくなってしまったのだ。何だか自分が情けなくなって、余計に尻尾が垂れ下がる。

  あやめ先輩は食べる手を一度止めて、俯き気味の俺の顔を覗き込んだ。視線を感じたので目を合わせると、あやめ先輩はにこりと笑った。

  「でもトーカちゃんは不器用だから、告白されたときにパッと返事ができなかったのね?で、そんな自分に自己嫌悪中」

  「……何でわかるんですか?」

  「わかるわよ。特にトーカちゃん顔に出るタイプだから。良い子の証拠よ、嘘も苦手なんでしょう?」

  「…………そうっすね。俺ってなんか………子供ですね」

  「それがトーカちゃんの良いところでしょ?それが可愛いからみんなに好かれるの」

  「……好かれ……てるんですか?」

  「当たり前じゃない?今日だってあなた何人に話しかけられたのよ?何人に自分から話しかけたの?」

  そう言われて、ハッとした。そういえば確かに、俺自分から誰にも話しかけてないんじゃないだろうか。いつも向こうから話題をくれて、絡んできてくれて、それに返事をしているだけだ。

  ……違う、今日自分から話しかけたのは、こーすけだけだった。

  あやめ先輩はニコニコと笑っていた。面白がっているわけでも、からかっているわけでもない。俺の不安を和らげようと、笑ってくれているのだ。

  「あやめ先輩、篠崎に告白されたとき、ちょうどこーすけが通りかかって……」

  「こーすけ?あぁ、利根川ちゃん?」

  「そうです。んで、こーすけに告白されてるとこ見られたとき、アイツめちゃくちゃイラついてて。何でなんすかね……」

  こーすけがイラついてる原因を、あやめ先輩に聞いたところで仕方ないだろうと思ったが、この人は何らかの答えを俺に教えてくれるような気がした。

  「告白されてるとこ見て怒ったんだったら……二人のうちどっちかに気があるってことじゃないかしら?嫉妬よ、たぶん」

  「嫉妬……?」

  「目の前で好きな人が別の人に盗られそうになったら、イライラしちゃうものじゃないかしら?私は利根川ちゃんとあんまり喋ったことないから、真意はわからないけどね」

  嫉妬か……。てことはこーすけは、篠崎のことが元から好きだったんだろう。そうか、それだとあのキツイ視線も納得できる。篠崎のことが好きなのに、篠崎が俺に告白したから、めちゃくちゃイラついてる。そうだそれなら辻褄が合う。何でこんな簡単なことが分からなかったんだろうか?

  「なるほど……!じゃあ大丈夫だ、俺は篠崎と付き合うつもりはないから、それを伝えればこーすけも篠崎に告白できますね」

  「……っ、え?」

  胸のモヤモヤが解消されていくような気がした。わからなかった数学の問題が一問解けたような嬉しい気持ちだ。こーすけが篠崎と付き合えば、俺にセクハラしていた二人が付き合うわけだから、俺の心労もかなり楽になる。篠崎が納得さえすれば、全てうまくいくかのように思えた。

  「あやめ先輩、ありがとうございます。自分がどうすればいいのか分かりました」

  「う、うん……良かったわね……」

  「俺今からこーすけに説明してきます……あざした」

  そうと分かれば、善は急げだ。点呼前までにこーすけと仲直りして、点呼後に篠崎にちゃんと気持ちを伝える。そうすれば、あとは本人たち次第だろう。こーすけの恋は応援してやるつもりだし、もちろん邪魔しないようにしよう。案外篠崎も失恋したショックで、こーすけとスムーズに付き合う流れになるかもしれない。

  食堂を出て、早歩きで螺旋階段を上っていく。いつになく行動的な自分に嬉しさを覚えながらも、こーすけに何て声をかけようか、文章を頭の中で組み立てていく。

  その後ろでは、あやめ先輩がため息混じりに一人呟いていた。

  「…………ほとんど一択の二択を、こうも鮮やかに外しちゃうのがトーカちゃんの良いところよねぇ……」

  部屋の扉を開けると、つい数時間前と同じように、机に向かっているこーすけが居た。またマンガを描いているのだろうが、何となく手元が忙しなく、落ち着いていない様子に見えた。やはりまだ少しイライラしてるんだろう。

  俺が部屋に入ってきたことをチラリと横目で確認したようだったが、特に何も言ってこない。やはり俺からちゃんと切り出さないと、このまま軋轢を生んでしまうだろう。

  俺も自分の椅子に座って、こーすけの背中に向かって話しかける。幸いイヤホンはしてないみたいだった。

  「こーすけ、さっきの話なんだけど…………」

  ピクリ、とこーすけの耳だけが反応したのが見えた。ちゃんと聞こえてはいるけど、顔は合わせたくないらしい。

  すると、こーすけはため息ひとつついてから、疲れたような口調で喋りだす。

  「……気にしないで。悪いのは俺だから…………嫉妬するなんてらしくないよね」

  「………………大丈夫だ、お前が心配するようなことにはならないから」

  「ううん、なるよ。哲也とも…………これまで通りにはなれないね」

  こーすけはもうイラついてすらいないようだった。だが酷く悲観的で、何だか寂しそうな背中に思わず手を伸ばして、背中を数回撫でた。緩く、こーすけの尻尾が揺れる。

  「……んで、結局篠崎くんには何て返事したの?」

  「まだ待ってもらってる。でもちゃんと説明して断るつもりだ」

  「………理由はやっぱり…………哲也がノンケだから?」

  「まぁそうだ……だから安心してくれ」

  俺が優しくかけた言葉に、こーすけの尻尾の動きが止まった。体は一ミリも動かさないし、石像のように固まってしまっている。俺が篠崎と付き合わない、という事実に安堵しているのだろうか。

  すると、

  「……………………え?」

  「………………ん、え?」

  こーすけから予想外の返事が返ってきて、これには俺もどうしたらいいか分からず、オウム返ししてしまう。

  「…………いや、何を安心すればいいわけ?」

  「……いやだから、俺は篠崎とは付き合わないぞ」

  こーすけは急にこっちを振り返って、まじまじと俺の顔を見つめる。疑うような、訳がわからないというような疑問の表情。俺が嘘をついているとでも思っているのだろうか。こーすけが何を考えているのかは普段からあまり分からないが、今は特に分からなかった。

  「…………うん、だろうね。だって哲也はノンケだから」

  「そうだ…………けど…………?」

  「は?何いってんの?」

  「いやこっちのセリフだ。篠崎とは付き合わないんだから、好きにアタックかけたらいいじゃねぇか……」

  すると、こーすけはみるみる不機嫌な顔つきになっていって、大きく深いため息をつく。背中を撫でていた俺の手を振り払って、ギロリと睨み付ける。

  「ねぇどんな気持ちでそれ言ってんの?俺をおちょくって楽しんでるつもり?」

  「はぁ?いや、そんなこと――――――」

  「いつもの仕返し?良かったね!楽しい?十分俺は嫌悪感でいっぱいだよ!!」

  「何でキレてんだよお前っ!!おいっ、」

  「……なんか勘違いしてるのか、嫌味なのか知らないけど、ほんっとお前のこと嫌い!!!」

  こーすけは俺に向かって毛を逆立てて、強く威嚇すると、立ち上がって部屋から出ていこうとする。俺にはこーすけが何でキレてるのか訳がわからないし、勝手に嫌われる筋合いもない。俺も立ち上がってこーすけの腕を掴んでひき止める。せめてどっちかが冷静になって話し合わないと、この摩擦は解消できないだろう。

  すると、こーすけは腕を掴んだ俺の手の甲に強く爪を突き立てた。切ってはあったから出血するほどじゃなかったが、刺すような痛みを感じて思わずこーすけの腕を放す。

  「ぃってーなッッ!!!!?」

  反射的に声を荒げて、唸り声が喉から漏れる。やり返してやろうかとこーすけの顔を睨んだとき、

  「……でも、そんなお前が大好きな俺が一番大ッ嫌い…………」

  こーすけは今にも泣き出しそうな顔をして、俺のことを見ていた。剥き出しにした牙が、拍子抜けして、また口のなかに隠れる。ケンカする気満々だった俺の爪は、虚しく空を握る。逆立っている毛がそっと落ち着いていくのを感じていた。

  そのとき、九時五分前のチャイムが鳴り響いた。こーすけは俺に背を向けて、さっさと外に出て行ってしまう。恐らくそのまま食堂に行って点呼に向かうんだろうけど、何となくすぐに追いかける気にはなれなかった。

  「………………なんなんだよあの顔」

  一人残された部屋の中で、ボソッと呟く。

  めちゃくちゃイラついててキレてるのかと思えば、号泣寸前といったような弱々しい表情。怒ってるのか泣いてるのか、俺にどうしてほしいのか何にも分からなかった。

  爪を立てられたときはついカッとなったが、案外俺は冷静で、少なくとも今さっきのやり取りを思い出して、分析しようとするくらいには感情的でもなかった。

  さっきのやり取りは全然会話として成り立っていなかった。俺の言い方が間違っていたんだろうか。始めの方は少し回りくどかったかもしれないし、後半は声を荒げてしまっていた。でもそれだけじゃなくて、何か二人の認識で勘違いしてる部分があるように思えた。それが何なのか擦り合わせようとしたら、こーすけを怒らせてしまったのだ。

  わからない。俺はきっと鈍感なんだろう。人が何を考えているのかなんて、全然理解できなかった。島ではこんな難しいことになったことがなかった。今と前とでは、何が違うんだろうか。あやめ先輩みたいに、顔を見ただけでわかるようになればいいのに。

  きっと俺は、自分のことだけで精一杯で、全然周りのことなんか見てなかったんだ。自分が思ってる以上に、俺は周りの人に興味がなかったのかもしれない。篠崎の好意にも気づかなかったし、こーすけの嫉妬も分からなかった。やっと理解できたと思ったら、今度は怒らせてしまった、泣かせてしまった。

  ふと時計を見ると、点呼一分前だった。とにかく点呼に遅れるのは良くない。

  大きめのため息をついて、モヤモヤを抱えたまま、俺はそっと部屋を出た。

  食堂に入ると点呼は始まっていて、寮監の先生に軽く注意された。すいません、とさっと頭を下げて食堂を改めて見直す。

  一番奥の、よくこーすけが座っている席には、こーすけど久郷田先輩が向かい合って座っている。こーすけの顔は憂鬱そうだったが、いつもとあまり変わらない様子で、不審に思った人はいないみたいだ。泣いてたら大事になりそうだし、その点には安堵する。

  もう点呼は始まっているので、そっと一番近くの一年生のテーブルの空いてる席に座る。ちょうど向かい側に篠崎が座ってて、不安げな表情で俺のことを見ていた。そうだ、篠崎とも話をしないといけないんだった。

  「明日は休日です……し特に皆さんに関係する用事はありませんね。土日なので昼食はありませんから、各自で用意するようにしてください。あ、さっき洗濯場に誰のかわからないパンツが落ちてたので持ち主は取りに行って下さい。誰もいらないようなら捨てます」

  寮監は淡々と業務連絡を済ませている。ただいつもより少し長めに感じた。端のテーブルで久郷田先輩が机に突っ伏していて、それをこーすけが心配している。

  ……そういえば、今日発情期って言ってなかったか?

  その事を思い出して、何だか心がゾワッとした。きっと久郷田先輩があのテーブルにいるのは、こーすけをそのまま部屋に連れ込むためだろう。こーすけは了承しているのか知らないが、さっきまでのこーすけを見ていた分、心配になってくる。

  それにこーすけは篠崎が好きなんだから、久郷田先輩に抱かれるのだって本当は嫌なはずだろう。二人は別に付き合ってるわけじゃない。

  ちらりと篠崎を見ると、少しふてくされたような態度だった。こいつもこいつで何を考えているのか分からないし、ただひたすら俺を見ている。

  俺はただ、普通に学園生活が送れればよかったのに、何でこんなに色んなことを同時に考えなきゃいけないんだろう。

  そのとき、

  「じゃああまり夜更かしせずにさっさと寝ること!以上!!!」

  寮監がそう叫んだ途端に、みんなまばらに椅子から立ち上がって談笑を始めた。久郷田先輩もすぐに立ち上がり、こーすけの腕を掴んで食堂から出ていこうとしている。こーすけは特に無表情だ、嫌がっている様子も、喜んでいる様子も見受けられなかった。

  久郷田先輩が俺の横を通り過ぎた。無意識に唸り声が息に絡んでいて、かなり苦しそうだ。発情期のときは皆がそうなる。

  そしてその後ろを、こーすけが通り過ぎようとしていた。

  俺はその腕をがっしりと掴んでいた。

  「……っ、なに?」

  こーすけは少しだけ目を見開くと、すぐに不機嫌な顔になって、俺を睨み付ける。さっきまでの、イラついてるこーすけだ。

  こーすけが立ち止まったのを見て久郷田先輩も立ち止まる。きっと辛いのに、引き止めてしまったのは申し訳ない。でもそれ以上に、こーすけに聞きたいことがあった。

  「……お前好きな人いるんじゃねぇのかよ」

  俺にはわからない。俺はきっと人の感情に疎くて、その人が何を思ってるのか、何を考えているのかがわからないのだ。だから唯一、わかっていることだけを確認したかった。こーすけに好きな人がいる、ということ。それは恐らく篠崎なんだけど、わざわざ直接名前を言うのは憚られた。

  こーすけは少しだけ俯いた。数秒間、目を瞑った。

  そして、

  「…………離せ」

  俺の手を振りほどいて、久郷田先輩に駆け寄る。

  そのときのこーすけの声は酷く冷たくて、完全に壁を作られたのだと理解した。俺は、これ以上こーすけを引き止めてはいけないんだと。

  久郷田先輩は、唸り声を絡めながら、息苦しそうに言う。

  「…………いいのか」

  「はい……先輩、行きましょう………………」

  今度はこーすけが手を引くように、久郷田先輩と共に螺旋階段を上っていった。

  「センパイっ!!なんであんなこと言ったんすか?!」

  少し怒った様子の篠崎に声をかけられて、ハッと我に返る。こーすけの言葉の意味を考えていて、しばらくボーッとしていたのだ。

  篠崎は何でか怒っていて、かつ呆れたようなため息を俺に吹きかける。

  「なんでって………こーすけが怒ってんのは篠崎のことが好きだからだろ?」

  「はい?何で……あぁもうほんと鈍感っすねセンパイはっ!!!」

  篠崎は俺の手を引っ張って、脱衣所の前まで連れていく。食堂だと誰が聞いているか分からないし、この時間の脱衣所なら誰もいないだろうとのことだろうけど、施錠されて電気も消された薄暗い廊下は、何だか少し不気味に感じた。

  「……ほんとセンパイは鈍感で、そこが俺も好きなんすけど、今は悪い方にばっかり働いちゃってます」

  篠崎の口調には苛立ちを感じた。俺が鈍感なことに対してイライラしてるのだろうけど、それを俺にぶつけられても仕方ない。今はとにかく、説明してほしかった。みんなが何を考えているのか。

  「……センパイ、俺がコクったとき利根川センパイがめちゃくちゃイラついてたのは、センパイのことが好きだからに決まってるじゃないすか!!」

  「えっ、なんでだよ……俺は篠崎が好きなんだと思って―――――」

  「じゃあなんで俺がセンパイを風呂に誘いに行った時に、利根川センパイは抱き着いてたんすか?」

  俺の言葉を遮るように、淡々と篠崎に真実を告げられていく。

  ……そういえば、あの時こーすけは急に変な雰囲気になって、嫌いにならないで、とか俺が腹を立てたのに対して酷く過敏に反応していた。それが俺のことが好きだって証拠なのか?

  「利根川センパイは嫉妬……っていうか、素直になれない自分にイラついてたんすよ。そのせいで俺に先を越されちゃったわけだし」

  「っ、あ、その事なんだが………………」

  そうだ、こーすけのことばっかり気を使っている訳にもいかない。少なくとも篠崎だって俺に真剣に告白してきてくれたわけだし、俺も真剣に答えないと。

  すると篠崎は、またため息をひとつつく。

  「返事はいいっすよ……どうせダメでしょ?俺一回フラれたくらいじゃ諦めませんし、センパイが落ちるまで何度でも口説きます」

  「……お前…………往生際悪いな」

  「俺からしたら褒め言葉っすよ。それに相田センパイもそうやって今の彼女射止めたわけだし、センパイの恋愛対象なんて知りませんよ」

  まぁ確かに、俺がノンケだからと否定するのは、相田センパイの彼女がレズだから、と否定していたのと大して変わらない。ということはどっちみち、これからもこの変態狼に付き合わされるのか。

  「……でも、今はそれよりも利根川センパイが可哀想です。好きな人から勘違いされてるのって、普通にツライと思いますし……そんな状態で久郷田センパイに抱かれるのも、もっとしんどいと思います」

  篠崎は真剣な顔で俺のことを見ている。告白してきたときと同じだ。この顔は、篠崎が心からの言葉をぶつけるときの顔だった。

  「……利根川センパイに謝りに行って下さい。ちゃんと和解して、公平な立場になんないと、俺も恋のライバルとして扱えないです」

  「…………また怒らせたらどうしたらいい?」

  少し不安に思っている自分がいた。これ以上こーすけに関わって、またこーすけを傷付けることになるんじゃないかと思った。さっきの冷たいこーすけの態度は、明らかに拒絶だったから。

  すると篠崎は、にっこりと俺に笑ってくれた。それは俺を安心させてくれる、いつもの笑顔だった。

  「そんときはまた俺んとこ来てください。一緒にどうしたらいいか考えましょう」

  「っ、おい…………おい、泣くほど嫌なら止めるぞ」

  「…………ッ…………嫌じゃ……ぁ…………ない……です……」

  「…………そうか…………でも俺も泣いてる奴犯せるほど鬼畜じゃねぇよ…………ッ、ゆっくり話でも聞いてやりたいとこだが………………生憎今は余裕がねぇ………………」

  「…………っ、………………ごめんなさ……い………………」

  「……ッ、俺の理性があるうちに…………さっさと出ていけ………………明日にでも聞かせろよ…………ッ」

  「先輩…………ほんとにすいま……せん……失礼します…」

  篠崎に追い払われるように部屋に戻ると、案の定こーすけはいなかった。恐らく四階の久郷田先輩の部屋だろう。今頃発情期の先輩に、性欲処理の道具として遣われているんだろうと考えると胸がモヤモヤするし、嫌な気分になった。俺は間違いなく、こーすけを引き止める言葉を間違えたんだろう。

  俺は何にもわかっていなかったようだ。あやめ先輩に相談して、勝手にこーすけは篠崎が好きなんだと勘違いして、その体でこーすけと話をしたもんだから、全く噛み合わずにケンカになってしまった。恐らくこーすけは、俺に自分の好意がバレたことを懸念していたんだろう。こーすけの思う悪い結末というのは、こーすけが俺のことを好きなのが俺にバレて、これまで通り友達として接することができなくなってしまう、ということ。篠崎の告白を断った理由がノンケだから、というものなら、こーすけが俺に告白したところで同じ理由で断られるのは当たり前だ。なのに俺は無神経にも、好きなだけアタックすればいい、なんて言葉を吐いてしまった。こーすけからしてみれば、『フラれるのを分かった上で俺に告白してこいよ』と好きな人から言われたも同然で、あんなに嫌悪感を示すのも当たり前の反応だった。

  全ては、俺が鈍感だったから生まれた結果なんだ。今ならこーすけの気持ちが、ようやく理解できたというのに、もう遅すぎたんだろうか。

  『利根川センパイが帰ってきたら、まずは抱き締めてあげてください。それでちゃんと謝って、許してもらってください』

  篠崎に言われた言葉が、頭の中に再生される。何回も、その情景をイメージしてみようとするのだが、何回やってもこーすけに爪を突き立てられてイメージが終わってしまう。拒絶されるんじゃないか、ということが、俺のなかで軽いトラウマのようになっているんだろうか。

  ふと、右手につけられた爪の痕を見てみる。こーすけはパソコンでよく絵を描いているから、こまめに爪を切ってペンを持ちやすくしていた。だから大した傷にもなってないし、痛かったのは一瞬だけだった。

  でも俺からの言葉はどうだったろうか。こーすけの心にどれくらい深い傷を残したんだろうか。どれくらいの間痛いんだろうか。どんな痕が残ってしまうんだろうか。

  その傷は、俺が自分で癒さなければ。どうしても、こーすけに対する罪悪感でいっぱいだった。

  そのとき、不意に扉が開いた。

  目を腫らして、しゃくりあげながら、涙を流すこーすけが、そこに立っていた。

  考えるより先に勝手に体が動いて、こーすけの腕を掴んで部屋の中に引っ張りこんだ。反対の手で扉を閉めて、誰にも見られないようにする。

  そして、

  「…………っ、……………………………………」

  俺はこーすけを強く抱き締めていた。小柄で、体も細く、弱々しい雄の猫獣人を、自分の腕の中に閉じ込める。こーすけは俺の胸元にすがりついて、何も言わずにただただ泣くばかりだった。涙でシャツが湿っていくのを肌で感じる。それが心地よく思うほど、俺の心臓は早鐘を打っていて、何だか体も熱かった。きっと照れていたのかもしれない。誰かを自分から抱き締めるなんて、生まれて初めてのことだったんだから。

  未だに泣き続けるこーすけの耳元で、優しく呟く。

  「……こーすけ、ごめん。全部俺のせいだ。俺が鈍感で、何も知らずに、お前の気持ちも勘違いしてたから……こんなことになっちまった。ホントにごめん」

  囁いた言葉も、抱き締めた心地も、こーすけの感触も、どれも俺がイメージしていたものとは全く違っていた。だからこそ、これが心からの言葉であることは、何よりも断言できた。

  こーすけの身体はまだ、小刻みに震えていた。

  「…………色んな人に、教えてもらってやっと理解できた。俺のこと……好きになってくれたんだよな?」

  「………………ッ…………………………、」

  「同じように……俺もお前のことを好きになるのは、多分難しい。俺はやっぱり雌が好きだし、恋愛対象にはお前は入ってない」

  正直に、俺の気持ちを伝えないと。生半可な優しさじゃ、また友達を傷つけてしまうことになるから。

  「でも雄とか雌とか以前に、俺はお前のこと好きだぜ……?思い返してみたら、今日一日、自分から話しかけれたのはお前だけだったって気づいたんだ」

  こーすけは意地悪もしてくる。えっちなことも言ってくるし、体だって触ってくる。それを嫌に思うときだってあったが、俺はなんだかんだ、こーすけと一緒にいるのが一番居心地が良いんだと感じていた。だから改めてルームメートで良かったし、友達になれて良かったとも思っている。

  気がつけば、こーすけのすすり泣く声は聞こえなくなっていた。

  俺のシャツに顔を埋めるこーすけが、こもった声で話し出す。声はまだ、わずかに震えている。

  「………………俺は…………ッ………………バカだね…………」

  まるで自嘲するように、震えた声のまま笑い声をあげようとする。

  「…………全然…………哲也に……素直になれなくてさ、自分のせいで………篠崎に先越された…………のに、子供みたいに…………イラ……ついてさ…………哲也に……身勝手な……こと言って…………そのくせこうやって、甘えてる」

  こーすけの言葉を否定するかのように、俺は優しくその小さな背中を撫でた。

  「……ワガママ言えよ。みんなには大人びてるくせに、俺にだけ子供になるのが、こーすけだろ?」

  「……………………じゃあさ…………一個だけ、わがまま言ってもいい?」

  こーすけは、不意に俺の顔を見上げた。目は真っ赤に泣き腫らしていて、まだ目元に水滴が貯まっている。黒真珠のような瞳が、不安げに揺れていた。

  「…………今夜だけ…………哲也の恋人でいたい…………気持ち悪い……って思うかも…………しれないけど」

  「…………でも俺は恋人いたことねぇぞ。実際どうしてたらいいんだよ」

  「…………抱き締めて…………一緒に寝てほしい…………それだけで…………いいから」

  こーすけは、普段の姿からは見る影もないくらい、臆病で甘えん坊になっていた。いやもしかすると、本当はこういう奴なのかもしれない。普段はそれを気取られないように、必死に強がっているだけなのかもしれない。どっちが本当でも、どっちも本当でも、俺はそんなこーすけが好きなんだから。

  「……わかった。今夜だけな?」

  「…………うん…………ありがと……」

  こーすけを軽く抱いたまま、部屋の電気を消して俺のベッドに倒れ込む。元々一人用のサイズだから、二人で寝ると少し窮屈に感じるくらいだ。こーすけとぴったり体が密着して、暗闇の中でも互いの存在を強く意識する。

  こーすけは横を向いて、また俺の胸に抱き付いてきた。俺もモゾモゾと体を動かして、居心地がいい体勢を模索する。

  「…………言っとくけど、添い寝するだけだからな」

  俺がボソッと呟くと、ふふっとこーすけが笑う。

  

  「たねづけこうび、しないの?」

  「っ、しねぇよ!!バーカ………」

  やはり弱ってるだけのこーすけだと、何だかこっちもやりづらい。俺はこーすけにからかわれてるくらいが、一番ちょうどいいんだ。

  こーすけが、早くも瞼を落として、だんだんと安らかな寝息を立て始めた。きっと泣き疲れたのかもしれない。本当に子供みたいだ。

  「………………好き」

  眠る間際、こーすけからの告白を聞いて俺は、起きたらしっかりと答えてやろうと誓って、ゆっくりと目を閉じた。