第十一章 女王の遊戯 ―無邪気な獣の末路― 1

  軍事都市『ベルーガ』の中央にそびえたつ巨大な城。

  白銀の遊戯宮。

  謁見の間に通されたカイルは、広間の中央に立ち階上の玉座を見上げる。

  玉座の左右には半獣人の近衛兵が整列し、鋭い視線をカイルに向けている。そして玉座の前に控える巨大な影。軍団長の獅子の獣人ザルガ。

  つい先ほど密約を交わした反逆の軍団長の背後にある荘厳な玉座の上には、幼い少女が座っていた。

  ふわふわした濃緑色の髪。褐色の肌。大きな瞳。小さな手足。その頭に生える灰色の狼の耳。

  まだあどけなさの残るこの少女こそ、ケモノ族の女王ナハトであった。

  彼女は大きな玉座から足を飛び出させ、ぶらぶらと揺らしながらカイルを見下ろしていた。

  「……お兄ちゃんが、ザルガの連れてきた変な人間だね」

  その声は幼いものの、カイルを観察しているつぶらなその瞳は、間違いなく獲物を見る捕食者の目そのものだった。

  「はい。お目通り感謝いたします。女王陛下」

  カイルは片膝をつき、頭を深々と下げる。

  「へぇ。人族って、初めて見るなぁ。もっとよく見せてよ」

  そう述べたナハトは玉座からひょいと飛び降りると、カイルの方へかけ降りてきた。

  小さな足が床に触れるたび、コツンコツンと軽い音が響く。広間まで降りてきたナハトはカイルの周りをひとしきりくるくると歩き回った後、

  「ふーん……人ってこんな感じなんだ。思ったより貧弱そうだなぁ」

  そう述べてからカイルの背後に回ると、髪をおもむろにつかんだ。

  「へえ、これが髪なんだ? 獣人たちの毛よりもふわふわしてる。これ、切ったらどうなるのかな?」

  とても無邪気な声。

  だがその言葉の端々に危うさが滲んでいることにカイルも気付いていた。

  「ねぇねぇ、試しに切ってみてもいい? 髪くらいすぐに生えてくるでしょ? それとも人族って、一度切ったら髪の毛は生えてこないの?」

  小さな子供が親に疑問をぶつけるかのように、早口でまくし立てるナハト。

  その様子を見ていたザルガがいさめるようにナハトに告げる。

  「……女王陛下。お戯れが過ぎます。客人が困っておりますので」

  「あれぇ? ザルガってば『また』ボクに意見するのぉ?」

  ナハトはカイルの髪を放し、ザルガの方を振り返ってにこりとほほ笑みながら、

  「いいのぉ? そんなこと言って。ボク、また『お前』で遊んじゃうよ?」

  そう述べた。

  切っ先のように鋭い口調で告げられたその言葉に、ザルガの表情が一瞬で固まる。

  その反応だけで、カイルには理解できた。

  (……この女、ザルガを遊び道具にしたことがあるな)

  ザルガの褐色の肌につけられていた無数の傷跡が、カイルの脳裏にふと浮かび上がる。

  「……申し訳ございません」

  深々と頭を下げるザルガに、

  「うん、まぁ、いいよ。今回はこの面白そうな人間のお兄ちゃんを連れてきたから許してあげる。でも、もうボクに二度と意見しちゃ、だめだよ、ザルガ」

  幼い女王の無邪気な笑顔がよりその残酷さを際立たせている。

  「あ、そういえばザルガさぁ。この前、お前と同じようにボクに対して無礼なふるまいをした獣人たちいたでしょ。あいつら、どうしたんだっけ?」

  ナハトのその言葉を聞いたザルガの肩がわずかに震える。

  「……女王陛下のご命令どおり森の外れに連れて行きました」

  「うんうん。さすがザルガ。ボクのために『準備』をしてくれたんだね」

  ザルガの言葉にナハトは嬉しそうに手を叩く。

  女王の言葉の意味がわからなかったのか、ザルガが不思議そうに首をかしげる。

  「準備……彼らは追放の処罰のはずですが」

  「うぅんとね、まぁ、そうだったんだけど。ちょっと退屈になったから『あいつらで』遊ぼうかなって。そのためにまずは、森にあいつらを逃がさないといけないなぁと思ってたんだ。でもさすがボクの右腕。ちゃんとボクが遊べるように準備をしてくれていたんだね! えらいえらい!」

  その言葉にカイルの眉がわずかに動く。ザルガは目を伏せ、

  「……はい。女王陛下」

  そう述べたが、その拳は強く握られ、鋭い爪が掌に食い込み、血がじんわりとにじんでいた。

  ナハトはカイルの方を振り向き、

  「あぁ、ごめんごめん。人間のお兄ちゃんには、何のことかわからないよね。あのね、この前ね、獣人たちがボクの言うこと聞かなかったんだよ。なんかさ、もう働きたくないって言ったの。こんな劣悪な環境から抜け出したい、だなんて言ってさ。

  だからボク、あいつらを全員森の奥へ追放したんだけど……たった今、かくれんぼの罰に変更したんだ! かくれんぼの罰はね、夜になったらボクがあいつらを見つけに行く遊びなんだよ。ふふ、これすごく楽しいんだよぉ。

  命がけのかくれんぼでね。もしもボクに見つかったら、首と身体がお別れしちゃうんだよ。へへ、どう人間のお兄ちゃん。すごく楽しそうでしょ」

  その説明を、頭を下げたまま聞いているザルガは、必死に歯を食いしばり、ナハトから視線をそらしていた。

  「助けてぇ! 助けてぇ! って叫ぶ獣人たちを、音もなく背後から襲い掛かるスリルったらもう、たまらないよ! 獣人たちってね、死ぬ瞬間に、喉をグルグル鳴らすの。あれは何度聞いてもいいんだよね。あぁ、今夜が楽しみだなぁ」

  ナハトの言葉を聞いたカイルは、静かに息を吐く。

  (……この幼い女王の遊びに、どれだけの獣人が巻き込まれてきたのか)

  「……あれ? 人間のお兄ちゃん」

  楽しそう呟いていたナハトが、カイルの顔を覗き込み、首をかしげる。

  大きな瞳が、好奇心と残酷さの混ざった光を宿していた。

  「お兄ちゃん、ボクの話を聞いても、ぜんぜん怖がってないね? なんで?」

  「怖がる理由がないからですよ、女王陛下」

  カイルが淡々と答えるとナハトはぱちぱちと瞬きをした。

  「ふーん、変なの……普通はね、獣人たちはみんな、ここに来る前に泣いちゃうんだよ。『女王様の前に出たくない』『まだ死にたくない』ってさ。で、こんな風にボクの話を聞いて、いつもぶるぶるって震えるんだ。涙をこぼしながら、怯えた表情で『お許しくださいって』言いながらさ。でも……」

  ナハトは小さな手を広げ、楽しそうに笑った。

  「泣いても、叫んでも、意味ないんだよね。だってボクが遊ぶって言ったら、絶対に断れないんだもんね!」

  そう言いながら再びナハトは、カイルの周りをくるくると回り始め、質問をどんどんぶつけてくる。

  「ねえねえ、お兄ちゃんって、どこから来たの?」

  「遠いところです。女王様」

  「ふーん。遠いところの人間って壊れにくいの?」

  「壊す前提で話してますね、女王様」

  「だって、壊れやすいとつまんないじゃん」

  ナハトが無邪気に笑う。

  その笑顔はまるで新しいおもちゃを見つけた子どものようだ。

  「ザルガはね」

  ぴたりとその場で止まったナハトは、ザルガを指さして言う。

  「すぐ壊れちゃうんだよ。ボクがちょっと押しただけで『うっ!』ってなるんだ」

  その言葉に、ザルガの表情が一瞬で固まる。

  国の入り口でカイルに向けていた殺意のオーラはとうに消失し、その目には恐怖と屈辱が入り混じっていた。そんなザルガを見つめながらカイルは静かにナハトに言った。

  「……ザルガを『押した』んですか?」

  「うん。だってザルガ、ボクが獣人たちに何かすると怒るんだもん。だから押すの。でね、そのときすっごく面白い顔するんだよ、ザルガって。目がぎゅってなって、耳がぴんってして、声が震えて」

  ナハトは楽しそうに身振り手振りで再現する。

  「女王陛下……どうか……お許しを! ってね!」

  ナハトは再びカイルの前に戻り、じっと見上げた。

  「ねえ、人間のお兄ちゃん。ボクのこと、ほんとに怖くないの?」

  「えぇ、怖くありません。女王陛下」

  カイルのその言葉にナハトは興味深そうに目を細めた。

  「へぇ……じゃあ」

  ナハトはカイルの胸に小さな手を当てた。その仕草は幼いが、瞳はとても冷たい。

  「怖がらせたら、どうなるの?」

  「何も変わらないです。女王陛下」

  「ほんとに?」

  カイルはナハトの耳にそっと顔を近づけ、囁くように言った。

  「……残念だが、俺はお前みたいなガキの思い通りにはならないぞ……ナハト」

  その言葉を聞いたナハトの瞳が、ぱちりと大きく開いた。

  「……へえ。面白いね。お兄ちゃん」

  その声には、明らかな興奮が混じっていた。ナハトはくるりと回り、玉座のまで勢いよく戻ると、

  「よし、決めた!」

  小さな指でカイルをさす。

  「お兄ちゃんを、明日の夜のかくれんぼに参加させてあげる。お兄ちゃんを、ボクの一番の遊び相手にする。他の獣人たちは見逃しちゃおう」

  突然のことに、控えていた近衛兵たちがざわめき、ザルガは息を呑む。

  「へぇ、どうしてそんな急に気が変わったんですか? 女王陛下」

  カイルの問いかけにナハトは「あはは」と笑いながら、

  「だってお兄ちゃん壊れにくそうなんだもん。一撃で終わっちゃう獣人たちよりは楽しめそうじゃない……それに」

  ナハトはこれまでよりもいっそう冷たく低い声で、

  「お前、めっちゃむかつく」

  そう述べた。

  「……女王陛下、しかしながら」

  「ザルガは黙ってて。意見したら壊すってさっき言ったでしょ。聞いてなかったの?」

  ザルガが思わず口を開いたが、ナハトが言葉と視線で黙殺する。

  それから再びカイルを見つめ、

  「お兄ちゃんを壊すまでの時間、すごく長くなりそう。でもその分、きっとすっごく楽しめるよね!」

  楽しそうに手を叩きながら述べる。

  「逃げてもいいよ? 泣いてもいいよ? でも……」

  幼い声が氷のように冷たくなる。

  「最後は、ボクがちゃんとつかまえるから、ね。絶対に許してあげないんだから」